日本一危険な国宝8

12 13, 2010
三徳山 三佛寺 投入堂8 Mitokusan Sanbutsuji Nageiredou8
Kazz日本全国古の旅


蔵王権現

日本独自の神である「蔵王権現」(金剛蔵王権現)投入堂はこの蔵王権現を祀るために造られたといわれる。

金剛蔵王権現。(こんごうざおうごんげん)
投入堂を語るときに避けては通れません。役小角が千日修行の末感得したと言われる神。通説ではあるが、この世の苦しむ人々を救おうと強く祈った役小角が、修行中何度となく現れた他の神様を退けた後、ついに、山(岩)の中から憤怒の形相と共に現れたと言われる、とてつもないスーパー神様である。全ての悪をにらみつけるように威嚇した表情や、地上の悪魔を踏みしめる左足、天と地の間にいるすべての悪を押さえつける右足、煩悩を断ち切る左手や悪を粉砕する右手の三鈷杵(さんこしょ)本当にすさまじい。
投入堂は「蔵王殿(ざおうでん)」の別名を持ち、中には7体(躯・く)の蔵王権現が祀られていた。

この7体の蔵王権現に見守られながら、数多ある修験者の人生という名の修験の道は、ここで終わりを告げず。永遠と続いていく。

Kazz zzaK(+あい。)「日本一危険な国宝・投入堂」編。実に長々と8回目になりました。前回の納経堂から残すところあと僅か。いよいよ今回最終回、投入堂と対面します。

観音堂

観音堂(かんのんどう)
前回の納経堂。このお堂の建立時代は平安後期に遡る実に古いものでした。
この納経堂の直ぐ傍にあるのが、この観音堂です。この観音堂は、江戸時代の再建となり、やや新しさを感じさせます。その理由は屋根の銅板葺でしょうか。もともと観音堂は、横にある元結掛堂のように「柿葺(こけらぶき)」でしたが、何らかの理由により再建時に今の形に成ってしまったようです。

日本建築は屋根建築(個人的に)とも思えるほど多種多彩な屋根があり、それが美しさを醸し出していると思っているので、再建するならば創建時の形に限りなく忠実にして欲しいというのはありますが、少しだけ残念です。屋根の材質だけでこんなにも印象が変わってしまうとは、難しいものです。ただ、今の目線で観ると、お堂の美しさなどに目が行きがちですが、本来の目的は別の所にあるので、当時としてはこれで良かったと思われます。

元々の観音堂は何時の時代につくられたものでしょうか。
この観音堂は、やはり洞窟のような深い奥行きのある場所に造られています。前面(北面)は崖になっており、渡ることはできません。この観音堂は後ろを回るようになっています。人がひとり通れるか?というぐらい狭い通路になっており、真っ暗です。暗闇で反対側から人が来たらビックリするでしょう(笑)この通路は「胎内くぐり」になっているそうです。ゆっくりと歩き神聖な気持ちになっていきます。

観音堂奥

只でさえ洞窟の中で暗いのに・・。観音堂の後ろは本当に真っ暗です。

元結掛堂

元結掛堂(もとゆいかけどう)
古そうなお堂が現れました。観音堂の直ぐ横にある元結掛堂です。・・・また、この元結掛堂というのがよく分からない。(笑)
この元結掛堂は、江戸時代前期のお堂ということだが、いったいどういうものなのだろう。納経堂の場合、お経の奉納する意味があるというのはわかりそうなものであるが、元結掛堂と名の付くお堂はおそらく三徳山だけなのではないであろうか。聞いたことが無い。

元結(もとゆい)とは、マゲを結ぶ紐のことであるらしい。恥ずかしながら知らなかった。
この元結を掛ける(つまり納める)ということかな・・?
調べると、武士が修行に入る際に髪を剃り、その決意の心の表れとして、この元結掛堂に元結を納めたのだと思われる。

三徳山の気候特性に影響されるのかよくわからないが、この元結掛堂も見た目非常に古さを感じる。とても江戸前期のものとは思えないぐらいの古さだ。風食が激しい。樹木の色素も抜けていて白っぽくなっている。入母屋と切妻を合わせたような形をしていて面白い。う~ん、中々出来ないのかもしれないが・・少し手入れをしていただきたい。劣化が激しい。


さぁ、これで残る修験の道はあと少し。お堂も最後に現れる「投入堂」と「不動堂」を残すのみとなった。

【←投入堂】という手作り感一杯の立て札を横目に矢印の通り歩いていく。

ここまでくると、投入堂はすぐ傍です。

投入堂ピンぼけ

投入堂との出会い。それは確か何年か前のテレビだったと思う。

それまで自分の旅の対象といえば、主に自然景観に傾向していて、だだっ広い大地に単純にあこがれを抱いていた。必然的に海外にも足を運んだ。かなり色々な国を歩いたが、どこか違和感を感じていた。やっぱり日本だった。
自分なりの大地へのあこがれを具現化すると、日本では北海道がもっとも自分の理想に近かった。もう何年も前から長い時間を掛けた結論として、単純にだだっ広い大地にあこがれただけでなく、旅をしていく土地空間を考えたとき、最も理想に近いのが北海道だった。ということに落ち着いた。ただ、これはあくまで旅の目線であり、居住とは別だ。個人的に旅の目的地としての北海道は最高であることに揺るぎはない。実際そうした旅のスタイルを何年も続けている。もちろんそれは今でも変わらないし、続けていくと思うが、ここ数年それとは別に、先人達が築き上げてきた様々なものに興味の対象が移って来た変化を感じている。

その最も良い例は「京都」だ。
少なからず誰もが感じていると思うが、東京に住んでいれば、中学や高校の修学旅行でも何度となく行くことになると思うが、当時の血気盛んな若者の中に、純粋にお寺や神社や歴史に興味を持つ者は一体どのくらい居ただろう?
自分の周りには積極的に好きだという者は居なかったように思う。興味の対象はそんなものではなかった。自分もそうだった。また、そこにある「行く」というよりは「行かされている」団体旅行丸出しの出で立ちと意識は、歴史云々以前の問題で苦痛でしかなかった。先生にも迷惑をかけ、今思えば嫌な子供だったと思う。

それが変われば変わるものである。(笑)団体旅行は別にしても、今や毎年京都に足を運んでいる。


つまらない昔話をして申し訳ない。

そうそう、その何年か前のテレビでこの「投入堂」が紹介されていた。こうしたお堂があるということは聞いたことがあったが、それはどういったものかわらず、ただ漠然と「崖にお堂が建ってるんだって。」という言葉だけの知識でしかなかった。テレビはおろか写真ですら見たことの無かった人間に、いきなりこの映像は凄かった。

それは、本当に衝撃であった。

「何だこれは。」と。

それからというもの、自分の中の「投入堂熱」は上がる一方で、どうにか行きたいと思い続けていた。

行きたいと思うと、やはりどうにかなるものである。

そして、月日は流れ、時に2010年11月4日(金)。今、この投入堂へ続く修験の道の上に自分は居るのだ。

・・話が横にそれましたので、道中に戻します。

最後の修験の道もやや細く決して気を抜けない。山肌を右手に感じながら大きく回り込むと、それはいきなり現れます。大概こういったものは、ルート上にチラチラ見え隠れし、「あぁ、あれか」と思ったりするものなのですが、投入堂は直前まで全く姿を現しません。曲がって姿を現れたところが修験道の終点です。(帰路があるので半分)すなわち、そこが投入堂の前です。

ここまで考えられているとは思いませんが、投入堂にあこがれていた人間には劇的すぎます。
相当数の人がいることを覚悟していましたが、辺りは静寂そのもので観光客の声は全く聞こえません。宿入橋からゆっくり歩いて1時間ぐらいでしょうか、それはいきなり現れます。

投入堂ズーム

やはり人は自分たち2人のようです。絶壁の中腹にそれはありました。

これが、日本が世界に誇る絶壁に建つ奇跡の建築「日本一危険な国宝」と呼ばれる、

奥の院3

       国宝 三徳山三佛寺奥院。通称「投入堂」です。

「・・・・・。」

久しぶりに物を観て感動しました。

やはり実物は凄い迫力です。圧倒的な存在感があります。
投入堂。その姿は、勝手な想像ですが、アプローチからこれほど劇的に現れるとは予想していなかったもので、一気にテンションが上がって、頭が真っ白になりました。

かなり長い時間観ていたような気がします。可能な限りあらゆる角度から観て、写真を撮りました。
ご存じの通り投入堂への入堂は固く禁止されているので、見る方向は西側からのみになります。それは、数多く写真やテレビなどで観てきた投入堂そのものの姿ですが、ここに立つとあらゆるものが違うように感じます。
空気感や、柱の質感、匂い、何より距離があるのに投入堂そのものの存在に手が届くような感じがするから不思議です。
六根清浄、にわかにもそれが感じられたような気が少しだけします。

投入堂7

北向きに構える奥院「投入堂」。その姿は神々しく、蔵王殿の名に相応しい。

冷静にみてみると、華奢というか非常に繊細な線を持っています。それでいて気の遠くなるような時間を繰り返してきたオーラがあり絶壁の中腹に佇む姿は、建築物という単純な枠を越え、神々しささえ感じます。

思ったよりも小さいお堂という印象です。

・・デザインが素晴らしい。こういう形のお堂は観たことがありません。
あおり気味に観ているのでいささか厚く見えますが、これを正面からみたら、スッとしてるんだろうなぁと思います。
投入堂の正面は北側。背が高い木々は全く無く、視界は凄く開けています。真っ直ぐ凜とした姿は下界を見守る蔵王権現を祀るに相応しい佇い。まさに「蔵王殿」です。

素晴らしいとしかいいようがない。

投入堂 不動堂

投入堂と不動堂。不動堂までは、滑るが何とか上がれる。

投入堂横にある小さなお堂は「不動堂」。この不動堂についての情報は殆ど無く、検証してみると近世のお堂であることはほぼ間違いない。不動明王が祀られていたのかな。(未確認)この不動堂については、自分も投入堂を目の前に完全に興奮しており、注意深く観察しなかったで是非再訪したときによく観てこようと思っています。

投入堂横

不動堂側からの投入堂。この写真のみGXR A12 50mm。ホワイトバランスは圧倒的にデフォルトのGXRの方がDP1よりも正確である。GXRのホワイトバランスは完璧に近い。

自分の興奮ばかりが先に立ってしまった8回もの長期にわたる駄文「日本一危険な国宝 三徳山 三佛寺 投入堂」編にお付き合い下さいましてありがとうございます。
投入堂修験道レポート、あまり上手くできなく、情報として役に立ったかどうか分かりません。初めての投入堂だったので、後に思えば色々準備が足りなかったなと反省しています。
まだまだ観るべきものは沢山あったと思っております。写真の方は、数多くの方々があらゆる角度から撮影した素晴らしい写真をレポートと共にブログにアップしていますので、ここでは最小限度の写真にとどめておきます。

投入堂CG4

少しだけファンが居る投入堂CG製作。(笑)造ってみると結構建築の勉強になる。どれだけ正確な図面が入手できるかと、垂木の反りが個人的には最大のキモだと思っている。このCGの垂木にはまだ反りは加えてません。

帰宅してから投入堂の建物や歴史的背景に一層の興味を持ち、まだまだ熱は冷めそうもありません。
投入堂が日本が誇る最高建築物のひとつであるということは既に承知の事実ですが、構造的にはそれほど複雑過ぎるということは無いようです。ただ、あまりに具体的な情報が少ないため、(内部などの写真が中々無いため)一体どのような構造をしているのか、一般の方々も興味があることころだと思っています。自分は特に建築に詳しい方ではないのですが、それなりに興味があります。正確な図面などはおそらく一般には出回らないと思いつつ探しています。(実測図という名での上面・側面・正面図は入手できました。ただ、もう少し詳しいものはないだろうか。)
自分が勉強することを第一に、この投入堂を通して、個人的に超素人ながらのCGを含め構造やサイズなどを出来るだけ詳しく紹介できたら良いと思っています。番外「日本一危険な国宝・投入堂完全解剖」編でお逢いしましょう。


・・さて、そろそろ終わりの時間が来たようです。

三徳山 三佛寺 奥院。この決して大きくないお堂が自分に与えた影響は大きいものでした。
それは、ここまで生きてきて、ある程度の人生経験を重ねた自分だからなのか、今もってそれはわかりません。
日頃のめまぐるしい時間の中で生きている自分にとって、改めて自分を見返す余裕はまだまだありません。
ただ、投入堂を目の前にしていた時、なぜか中学や高校の頃、とにかく嫌で、自分と対峙することもないまま京都を後にした何の経験も持たないあの時の自分が何故か思い出されていた。一歩一歩自分を見つめながらこの修験の道を歩いてきたんだと知らず知らずのうちに体が反応したのかも知れない。何の経験もなかった未熟なあの頃の自分から比べれば、僅かな時間の中で少しだけ成長した自分を認識できた修験の道は、それだけで大きな収穫であったことは間違いないと思っています。

投入堂は非常に多くの人が訪れている場所でもありますが、普通の観光地ではなく、あくまで「修行」というスタンスで拝観を行っています。お気楽な恰好で観ることはできません。かといって、その敷居はべらぼうに高いかといえば決してそうではなく、子供からお年寄りまで、基本的に準備さえしっかりしていれば誰でも行けるところであります。

こんな風に思ってみました。

もし、仮に投入堂を観ることに、汗をかくこともなく、駐車場から2~3分の平坦な距離を歩いた後、同じような状況で観られたとするならば、どうでしょう?
果たして、苦労の末にたどり着いた時と同じ感情でいられるか、

それは多分違うでしょう。

投入堂は、この修験道あってこそ本来の姿であると思っています。
そこには、何百年も繰り返されてきた歴史の重みと、それこそ、数え切れない程の修験者を見守ってきた蔵王権現、投入堂をはじめとするお堂の数々があり、木の根の一本一本に至るまでが修験者の意志を支えています。安直に考えず、それなりの覚悟を持って歩いていただきたい。それらは皆素晴らしいものであり、この修験道は何らかのものを参拝者にもたらすことと確信しています。

投入堂10
                                     
12月の今日、三徳山は真っ白い雪に包まれているでしょうか。
紅葉は既にその葉を散らし、2010年もまもなく終わろうとしています。
今年は良い年になりました。
大地に助けられながら貰った緊張と感動を大事に、
何時の日かまた、修験の道を一歩一歩踏みしめ、再びこの目に焼き付けたいと思います。


それが遙か遠い日の事でないことを祈りながら。



むかしむかしのお話です。

大和の国、今の奈良県の葛城山に役小角という修行僧がいました。
役小角は法力をもって、鬼神を従い、空を飛ぶことも出来たといわれています。
ある日、役小角が聖地と修行の場を求めるため、三枚のハスの花びらを用意しました。

そして、その三枚のハスの花びらを手に持ち、
「神仏に縁の在るところに落ちよ」と、空高く投げ放ちました
三枚の花びらの内、一枚が伯耆の国、今の鳥取県三徳山へ舞い落ちました。
三徳山へ役小角が行ってみると、険しく切り立ったがけの岩山に、
ぽっかりと大穴が開いていました

役小角はこの場所にお堂を建てようと思いました。
しかし、このような場所で建てるのは簡単なことではありません。
そこで役小角は、山の麓の開けた場所に行き、そこでお堂を造ることにしました。
役小角は、完成した立派なお堂の中に蔵王権現をお祀りし、この建物を蔵王殿と名付けました。

すると役小角は、蔵王殿の前でどっかと座禅を組み、お経を唱え始めました。
そして、お堂に触れたと思った瞬間、なんと大きなお堂を持ち上げてしまったのです。
「えいっ」というかけ声と共に、お堂を放り投げました。
するとお堂は、山の上のほら穴へ、ぴたりと収まりました。

これが蔵王殿のお話しとして、今日まで伝えられています。
この蔵王殿はのちに、役小角が法力をもって投入れたことから、誰ともなく人々が
『投入堂』と呼ぶようになっていったそうです。

                  
※三佛寺HP投入堂物語より。

※今回の扉絵「蔵王権現」とラストの投入堂空撮の写真は鳥取県ライブラリよりお借りしました。(どなたでも利用可能・詳しくは鳥取県HPまで)
最後に、今回同行いただいたFさん、ありがとうございました。東京からお疲れ様でした。お陰で投入堂を堪能できました。この場を借りて御礼を申し上げます。




日本一危険な国宝7

12 07, 2010
三徳山 三佛寺 投入堂 7 Mitokusan Sanbutsuji Nageiredou7
Kazz日本全国古の旅


鐘楼

地蔵堂を過ぎると現れる「鐘楼(堂)」重さ3トンの鐘をどうやって運んだのか。

いよいよ大詰めになってきましたKazz zzaK(+あい。)「日本一危険な国宝7」です。

投入堂修験道中最も大変な行程はほぼ前半にあり、ここまで来ると殆ど標高差がなく、投入堂まで平行に移動するだけです。前回の地蔵堂からすぐの所にこの「鐘楼(堂)」があります。切妻造りのしっかりとしたもので、歴史を感じさせます。鐘楼(堂)は、三徳山に限らず柱などがそれぞれカタカナの「ハ」の字になっていますが、これはおわかりの通り、鐘を撞いたときに起こる反作用対策で柱が傾いているのです。
この鐘は誰でも撞くことができます。早速撞いてみます。
「ゴォーン」という音が静寂な三徳山に吸い込まれていく感じがします。中々鐘を鳴らす機会が無いのでつい嬉しくなってしまいました。

鐘を撞く(鳴らす)という行為は、元々「時を告げる」という大きな意味の他に、「除夜の鐘」に代表されるような「煩悩を取り払う」という意味があるそうなのですが、この大きいけれど決してうるさくない心地よい鐘の音に心が洗われるような気がします。
この鐘は重量が3㌧もあり、どのようにしてここまで運んだか詳細な記録はないそうです。

先に進みます。

馬の背

写真ではたいしたことの無いように思えますが、右はかなりの急斜面です。

鐘楼堂を過ぎるとすぐ岩場に上がり、そこから「馬の背・牛の背」が始まります。どちらが馬の背で、どちらが牛の背だかわからなかったのですが、いずれにしてもちょっと気を抜くとすぐ谷側に滑り落ちてしまいます。晴れていて山側を歩けば問題ありませんが、間違っても馬の背・牛の背の骨の部分を渡らない方が無難です。(笑)バランスを崩さないように。

そして、右手に山肌を感じながら平行に移動していくと納経堂が見えてきます。

のうきょどうまえ

この辺りも少し気を抜くと滑っていくので注意が必要です。手前に見えるのが納経堂、奥が観音堂です。

納経堂

さっさと通り過ぎてはいけません。納経堂は非常に貴重なもので、なかなかみることの出来ないものです。

そして、これが「納経堂」です。
たいていの方はこの納経堂に注目していないようです。情報も非常に少ないのですが、皆さんこの納経堂を
「投入堂の前菜」みたいに思ってはいませんでしょうか。
いえいえ、ちょっと待って下さい。この納経堂こそ、Kazz zzaK(+あい。)大注目のまさに
貴重な小さな大建築ともいえるものなのです。
只でさえ貴重な平安時代の木造建築が、何の気無しに(失礼)ここにあるとは。

納経堂は、こうした崖のくぼみにあるお堂としては投入堂同様勿論国内最古級ですが、単純な木造建築として考えても、平安時代後期とは相当に古いものです。決して素通りにはできません。

良く見なくても古さを感じさせます。(笑)
投入堂はといえば、現在はフェンスと共に厳重に入堂が制限され、ごく僅かな限られた人間にしか、中に入ることはおろか近づくことさえできません。細部まで確認しようとしても出来るものでもなく、歯痒い思いをしてきましたが、この納経堂に関してはほぼフリーで見ることができます。建築ファンは細部まで良く確認してください。(投入堂を観た帰路にもう一度観てください。)

よく見てみると・・・。この屋根にかけての造り。何かに似てはいませんでしょうか?
そう、投入堂の屋根の骨組みとそっくりです。

納経堂2
投入堂屋根

上が納経堂、下が投入堂の屋根部分。非常によく似ている。

特に、柱と梁を繋ぐ「舟肘木(ふなひじき・船の下半分のような形をした梁と柱を繋ぐ部分)」(ジョイント部)
「飛檐垂木(ひえんたるき・屋根の骨)」の面取りの仕方。 ちょっと名称が分からないのですが、垂木群の両端にある角度の非常に浅いブーメラン型の翼端版のようなもの。(縋破風?)反りの角度といい、厚みと面取り具合といい、木質を除けば、見た目は殆ど同じものの様な気がします。実に色々なところが似ています。

「確かに似てる・・。」

こうした建築様式の相違を確認していると、投入堂と納経堂が極めて近い時代で造られた可能性のあるものであると素人でもある程度認識できます。

納経堂4

屋根の一部が岩に食べられているように見えます。(笑)

投入堂ほどではないが、この納経堂も非常に不安定な状態で建っています。岩場に屋根が噛み込んでいて、いや、屋根が岩場に噛み込んでいるように、何でここまでというぐらいにスレスレに屋根があります。

とはいえ、投入堂はともかく、この納経堂、見た目にも痛みが激しく、修理前の投入堂と殆ど同じような劣化具合をたどっています。垂木の痛みが特に激しくボロボロです。重要文化財でこの有様です。早急にそれなりのリペアをしていただきたいものです。
これは想像の範疇ですが、もしかしてこの納経堂も朱く彩色されていたんじゃないだろうか。

これから投入堂に行かれる方も大勢いらっしゃるはずですが、この「納経堂」是非注目してください。

納経堂3

これを見ると面取りは約1/7ぐらい。明らかに鎌倉時代の建築様式だが・・・。

これは納経堂の柱です。この面取りに注目していただきたいのですが、前々回「面取りの仕方で時代がわかる」という記述をしましたが、この面取りの仕方はどうみても鎌倉時代の頃のものです。
その証拠に、確かにこの納経堂は近年まで「鎌倉時代のもの」とされていたようです。但し後の年輪測定(科学測定)から、建立時代が平安時代後期まで遡るものということが分かったということです。
・・例外中の例外なのか、それとも平安後期から鎌倉時代の境の建物なのか。

・・・さて、ここで素人的に問題と思ったのが、この納経堂などでもそうなのだが、例え年輪測定で平安後期のものだとわかったとしても、文献もなく、建立方法が完全に解読されていない投入堂が果たして同時期に建てられた確証は全くない。・・・のではないか。勿論納経堂もそうです。こうしたものはあくまでそれに基づいた推定にすぎません。ひとつ言えることは、投入堂同様この納経堂もいぜんとして謎に包まれた建物であるということです。

軒ぞり3

さて、ここで折角Kazz zzaK(+あい。)に遊びに来ていただいたので、建物の年代がわかる第2弾として、古代の建物から近世の建物までの「軒反りによる時代の違い」を極簡単に見てみましょう。
投入堂は平安時代後期の建物であるといわれています。軒の形からもおおよその年代を証明しているといえますが。

①古代の建物の屋根は、中心部を折点とし、全体的に緩やかに軒方に上がっていきます。(軒反りは少しです。)

②中世鎌倉時代の建物は、中心部を折点とし、古代の建物より軒反り角度がやや上がります。(室町は近世に近いものもある。)

③近世の建物は、折点からある程度直線にラインが引かれ、軒反りが急激に上がります。

と、いう風に例外はあれど、面取りの他にも建物の外観である程度の時代が分かるのです。
こうした指針となるような基準をある程度記憶していれば、建物などを観るときまた違った視点から感じることができるのではないかと思います。




さて、7回にわたって書いてきたKazz zzaK(+あい。)投入堂編。今回も余計なことをズラズラと書いてしまい投入堂までたどり着けませんでした。ですが、いよいよ次回は投入堂まで行けると思います。あまり長くなるといけないので、今回はこのぐらいにして。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

次回、いよいよ最終回「日本一危険な国宝8」でお会いしましょう。



All Rights Reserved. Photo by Kazz with GXR A12 50mm SIGMA DP1 and SONY DSC-HX5V



日本一危険な国宝6

12 02, 2010
三徳山 三佛寺 投入堂6 Mitokusan Sanbutsuji Nageiredou6
Kazz日本全国古の旅


投入堂中から

ⓚAll Rights Reserved.

実際の感じでは、こんなイメージで見えるのかもしれません。(写真はCG合成。残念ながらこの風景は、文殊堂から見た風景です。泣)

本編クライマックスの前に、すっかり投入堂マニアとなったKazz zzaK(+あい。)です。
「投入堂」カテゴリーも新設しました。

皆さん十分すぎるほど分かってらっしゃると思いますが、投入堂内部というのは、ここ何十年も人の目にさらされてはいません。いや、正確には内部を見ることの出来る方はいるのですが・・。記憶に新しい中では、平成の大修理の完成記念に一般の方から選ばれた3名。また、修理関係者や研究者などのごく限られた人たちです。
かなり前になりますが、以前は投入堂まで行けたそうで、写真でみると、落書きされた後が随所に伺えます。昔の人の遊び場だったという話も聞いたことがあります。

ではこれから先、一般の人間がこの投入堂を見る機会というのはないのでしょうか。いや、中を見ることができなくても投入堂に中に立って、どのような風景がこの目に見えるのかを感じたい気持ちは凄くあります。
この間の一般拝観で実に60年振りというので(次は100年後という噂がある。笑)これから先ほとんど考えられないであろう。
前回の倍率は約100倍だったそうだ。

けれど、いつかチャンスがあるはず。それを逃さず投入堂に関わっていこう。しかし、心のどこかで見たいけど見たくない気持ちもある。投入堂は神秘的なままでいいような。こういうのは心に描いているだけで良い気もする。
だけど、「投入堂に上がってみませんか?」ともし言われたら、迷わず「ハイ」だろうな・・。

さて、前回から製作資料が増え、少し投入堂CG製作が進行しました。上の写真は身舎(もや)の西側庇後方から見た前面(北側・投入堂は北向き)の感じをCG合成したものです。投入堂の方は、まだまだ完成度20%位なのでこんなものでしょうか。まだ色々なところが角材のままです。

実は合成したこの写真は、文殊堂から見た風景です。投入堂から見下ろした写真というのは、ごく限られた人しか持っていない貴重のものではないでしょうか。そういう写真を使いたいのですが、中々無いですし、自分で撮ったものをやはり使いたいものです。
以前テレビで見たことがありますが、投入堂からの景色は素晴らしいものです。その時の内部の映像には「資料提供NHK」とハッキリ出ていましたので、自分が知らないだけで、何か特集みたいなものが組まれていたのかも知れません。投入堂マニア失格ともいえる(笑)現在YOU TUBEなどで見られる昔のNHKの投入堂ドキュメントを見逃した自分としては、その再放送で良いのでしてくれないですかね。


投入堂製作

ⓚAll Rights Reserved.

特別な人でないかぎり、実際の投入堂は、現在は西側からしか見ることができません。そこで、投入堂の斜め裏から前方を眺めてみよう。・・勿論実際には見ることの出来ない角度です。

CGであれば絵と違い、色々な角度から見ることができます。実際ではほぼあり得ないような。あくまでバーチャルですが・・。模型などもそうですが、角材を組み立てる様は投入堂を建てている感じで、よく構成を見ていると、「こうなっているんだ。」などという新発見があり、実に色々なパーツで組み合わされている「匠」な建物ということがわかります。

自分はあくまで素人ですが、素人なりにもう少し勉強していきたいと思います。
勿論、近いうちに赤・白・金(実際の投入堂の彩色)で彩られたこのモデルを使って「投入堂完全解剖」というタイトルで、登るだけでなく、建物自体に興味があるひとにも紹介できたらいいなと思います。


次回、本編「日本一危険な国宝7」もお楽しみに。しばし、お待ちを。



日本一危険な国宝5

11 29, 2010
三徳山 三佛寺 投入堂5 Mitokusan Sanbutsuji Nageiredou 5
Kazz日本全国古の旅


文殊堂

文殊堂。崖などに建物を建てる高度な技術「懸造り(かけづくり)」文殊堂を見て最初に思い浮かべるのは京都・清水寺。組み合わされた木材がひとつのデザインとなり、素晴らしい融合美を魅せる。

文殊堂と地蔵堂

投入堂修験道最大の難関とも思える「くさり坂」手前まで来た。
よし、いよいよかぁ、と、思ったが・・、ちょい待ち。「くさり坂」の前に難所があるんです。

くさり坂手前

それが、ここ。名付けて「くさり坂、手前坂」。

おーっ、斜度60~70度近くはあるだろうか。岩場むき出しのいかにも滑りそうな坂だ。

日頃デスクワーク主体の同行者は一瞬唖然。何とか奮起して一歩を踏み出す。
写真で手に掴んでる横断しているこの「根」に助けられた模様。ここでも「根」サン大活躍です。
この横断している「根」を越えて左にルートを取れば年配の方でも問題なく上がれます。
この、やや高い難易度の「手前坂」を越えていよいよ現れます。

くさり坂

さぁ、投入堂修験道の真打「くさり坂」いよいよ登場。

「おぉ、確かに凄い。」

距離は15m程度だと思いますが、傾度がキツい。人生で鎖を使って坂を登るってことが何回あるだろう。(笑)

同行者、再び唖然です。但し「手前坂」より傾度は低いです。適当な凹凸があり、雨の日でなければ大丈夫そうです。ただ、最初の上がりが大変です。上がってしまえば、後は頑張れば大丈夫。右にルートを取り、文殊堂の柱を掴みつつ上がるという技もあります。同行者は、会社の同僚に「絶対迂回ルートは取らない」と宣言してきたらしく、「ここを登らないと何言われるかわからない(笑)」と、ある種使命感のように登っていきました。

くさり坂2
くさり坂3

以前のエントリー「日本一危険な国宝3」でも記しましたが、この「くさり坂」には迂回路があります。下りの人の為の道で、基本的には一方通行となりますが、下りの人の列が切れたら登れると思います。ご年配の方などはこちらから登られることをお勧めします。

この最大の難関「くさり坂」を上がると文殊堂です。

文殊堂全景2

文殊堂。日本の懸造りの中でも、かなり標高の高い場所にある建物。こうした貴重な建物に上がり、景色を見ることの出来ること自体がこれまた貴重な体験である。

この文殊堂は、国の重要文化財で室町時代に建立された建物であると言うことです。
投入堂にばかりスポットが当たりますが、なかなかどうして、懸造りの建物としても凄いと思います。
投入堂の情報は色々ありますが、この「文殊堂」や、この上の「地蔵堂」は関しては、殆ど情報はありません。
「文殊堂」と言うぐらいだから、文殊菩薩像が祀られているぐらいしか分からない。扉は常に閉められているようで、何年か前に滅多に見られない内部が公開されたと言うが、写真でも見たことがありません。

文殊堂一回り

恐怖におののきながら写真を撮る。これほどの開放感は滅多に味わえない。こうした「素晴らしい景色」と、表裏一体にある「死と隣り合わせ」が意味する現実は、それがこの場所に立つということの深い意味を感じさせているようにも思えてならない。ただ景色が良いだけでここにお堂を建てたわけでは決してない。

多くの方が体感したと思うが、この文殊堂は廊下を一回り出来るようになっている。懸造りで只でさえ崖から張り出されるように造られているので、その開放感たるや、中々類を見ない。一瞬空中を浮いているような錯覚に陥る。この日は快晴で、遠く日本海まで見ることができた。雨を逃がすため、やや床が外側に傾斜している。人工的な建物などが視界にないので高さの感覚が麻痺するが、勿論落ちたら只では済まない。すれ違うときは細心の注意を払いたい。また、この場所でふざけあうなどはもっての他だ。

文殊堂景色

遠く日本海が見える。本当に凄いところに建てたものだ。ここからの景色を見られることに感謝。

人間の心理というものは面白いものだ。おそらく、この文殊堂を回ろうとしている人は、全員がここから落ちたら只では済まないと認識していて、個人個人がそれぞれ最大の防衛策をとるので、何か突発的なことでも無い限り事故が起こるケースは非常に少ないと思う。すれ違う人がそれぞれ声を掛け合い、誰もが傷つかない、付かせないという気遣いや思いやりをもって歩いている。信号などがない複雑な交差点で事故が少ないのと同じで、要は意識の問題である。自分を思いやり、他人に気を配る。我が物顔で歩くことなど許されない場所である。そう、そして、なまじ柵など設けない方が良い。あまつさえ、柵などと言う甘えがあるから転落する。逸脱した行為も同様だ。人生と同じか。自己の意識を強く持って進んでいかないと人は転落していく。

ここからの眺めは素晴らしい。偉大なる先人達が、ここに苦労してお堂を建てた意味は、ここを廻つて初めて分かった気がした。修験道という名のもと、考えさせられる。

地蔵堂

建物が似ているので、ひとまわりしていると一瞬フラッシュバックしたかのよう。ここからの眺めもまた絶景です。

さらに少し上がると同じような建物がある。この建物は「地蔵堂」。この地蔵堂もお堂をグルリと一周できる。
建立時期といい、造りといい、文殊堂と非常に似ている。道中さほど急ではない上り坂から現れる建物で、文殊堂のくさり坂のような難所があるわけではない。基本は入母屋造りに唐破風を持つ建物で、建立時代は室町時代の建物だ。ここからの眺めも素晴らしく、高所恐怖症でないひとは注意しながら一回りすることをお勧めする。残念ながら各所の扉は閉ざされていて中を見ることはできない。
面取り説明
ここで、折角Kazz zzaK(+あい。)に遊びに来ていただいたので、今回の最後に、少し古代~近世の建物についてお話しします。
寺社仏閣などが好きな方は勿論のこと、ふと旅先で出逢った古い建物など、
この建物一体何時頃のモノなのかなぁ?
と思うときはないでしょうか。予備知識の無いときに、意外と役に立つのが「柱から見る時代」の特定です。自分も建物を見るときの指針にしているのですが、上図のように、実は「柱の面取り」を見ると、大概の建物の時代がわかるということ、ご存じでしたか?これ、本当に役に立ちます。

例えば、今回目指す投入堂は、平安時代後期の建物と言われています。「平安時代後期」の建物は、面取りが大体1/5になっています。但し、投入堂は非常に大きい面取りをしてあり、(殆ど8角形)やや特殊なケースです。時代はやや上り、「鎌倉時代」の建物になるとこれが1/7ぐらいになります。そして、今回の文殊堂や地蔵堂など「室町時代」の場合1/10ぐらいになり、これが近世「江戸時代」になると1/14ぐらいにまで小さくなっていきます。全て、まったくこのケースに当てはまるかといえば、いきなり投入堂のようなケースもあるわけで、100%とは言い切れませんが、建立時代のわからない旅先で出逢った建物などの柱に注目してみると面白いかもしれません。



さて、いよいよ修験道も佳境に入ってきました。目指す投入堂はもうすぐです。前のエントリーから、少し資料的なものも集まり、CG製作の方もほんの少しだけ進みました。まだまだ下手くそですが、次回「日本一危険な国宝6」では、お見せできるかもしれません。ただ、完成はまだ先になりますので、少し長い目で見てください。素人建物ファンの方、しばしお待ち下さい。


ⓚAll Rights Reserved. Photo by Kazz with GXR A12 50mm SIGMA DP1 and SONY DSC-HX5V



日本一危険な国宝4

11 25, 2010
三徳山 三佛寺 投入堂4 Mitokusan Sanbutsuji Nageiredou 4
Kazz日本全国古の旅


役小角

Who is the man? 役小角とは一体何者?



【役小角(えんのおづぬ)】と【六根清浄(ろっこんしょうじょう)】

今回のKazz zzaK(+あい。)投入堂とは切っても切れぬこんなお話から。

修験道の開祖にして呪術師。神様のようで神様ではない。投入堂を投げ入れたとされる、この

「役小角(えんのおづぬ)」

という人物はいかなる者であるか。
この、役小角なるいかにも伝説的な名を持つ興味深い人物は、600年代後半に実在した人物とされる。
「と、される・。」そう、実在の人物であることは確かだ。但し、その出生などの記述は殆ど無いに等しく、極めて謎に包まれた人物である。では、なぜ実在した人物だと言われるか。
「続日本紀」(しょくにほんぎ)にその記述があるそうです。この本は、フィクションなどの入り込む余地がない本と言われ、その記述には、役小角の伝説を伺わせる記述が残されているそうです。

役小角(えんのおづぬ)とは略称で、フルネームは、賀茂役君小角(かものえだちのきみおづぬ)。 大和国生まれで、後の名を 役行者(えんのぎょうじゃ)、 神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)、役公(えんのきみ)とも呼ばれ、多くの名を有する。
投入堂自体の伝説にもあるように、役小角は、自分が会得した孔雀明王の呪術(いわゆる法力?)で民衆を救い世に多く知られるようになった。修行の成果として、蔵王権現を感得した役小角は、日本の霊山という霊山をくまなく遍歴し、自らの思想を衆生に説いたといいます。

また、役小角は修行の虫でもあったそうです。後にその能力の凄さに嫉妬した弟子に朝廷に密告され、「怪しいヤツだ」と母親を人質に取られ、大島に流される刑に処される。ただ、並はずれた能力の持ち主だった役小角は、昼間はおとなしくそのままであったが、夜には海を歩いて富士山で修行をしていたという。また、自らの呪術により空を浮遊し、鬼神2鬼を前後に従え修行をしていたといわれる。とにかく、様々な伝説を有する、役小角はある意味スーパースター的な存在である。

以上、ザックリではあるが、役小角という人物、極めて興味深い人物であることに間違いない。

・・これらは荒唐無稽な後付的伝説ともとれるが、それらの真意は個人が持つところとしたい。
数々の伝説はあれど、後の山岳信仰から生まれたこうした修験道の開祖であることは広く知られ揺るぎはない。

後に役小角は、罪を許されるが、60余年で昇天したという。「死」ではなくあくまで「昇天」。人として生まれ、神としての「昇天」。凄すぎる人物である。

「修験道の開祖か・・。」

投入堂修験道中には、この役小角の石像が建ててある。

2011年、こうした役小角の開拓した修験道を自分も今、歩いている。

六根清浄

登山事務所にてお守りでもある「輪袈裟(わげさ)」を借り、いよいよ入山する。六根清浄とは、

・眼(視覚)
・耳(聴覚)
・鼻(嗅覚)
・舌(味覚)
・身(触覚)
・意識


の事で、これら人間の欲の根源である全てを断ち切り、心穏やかに無の境地で登らなければならないということなのであろう。常日頃から欲にまみれた生活をしている自分にとっては(笑)改めて身が引き締まる思いである。

入り口2

朱の格子の入山門をくぐり修験道が始まる。修験道中は食べ物は勿論厳禁である。(飲み物はOK)

入り口

宿入橋を越えて振り返る。この杉の木は凄い貫禄。樹齢どのくらいであろうか。伝説の地の入り口に相応しい構え。
自然の仁王門のような・・同じような樹齢だと思うが、左の木の枝振りが凄い。


いきなり坂2

いよいよ始まった投入堂修験道。宿入橋越えるといきなりハードな上り坂が連続して続く。斜度はまだまだこんなものじゃないだろうが、とにかく「滑るっ。」確かにこれは雨の日に相当な神経を使う。根っコがありがたい。細心の注意を払って先に進む。

と、しばらくして気がついた。

カメラの出し入れに妙に手間がかかる。今回持ってきたGXRは50㎜。サブとして広角用にDP1を持ってきたのだが、これが暗すぎて全く役に立たない。(DP使いの人にはこの意味がわかるだろうが・・泣)GXRはといえば、この道中に50㎜は全くマッチしない。加えて、ハンドストラップで来てしまったため、撮影の度に出し入れしなければならないことと、同行者のデジカメも自分が所持し同時に記録していたため、結局3台のデジカメを駆使しなければならなくなった。いきなり結論だが、道中を克明に記録する場合、基本一眼レフなどの大型のカメラは、バックなどに出し入れすることを想定しないで登った方が良い。つまり、手に持つことは考えず、剥き身かけっぱなしの方が良い。また、広角域は必須であることも加えたい。50㎜はどうしても長い。

いきなり坂3

ある意味参拝者を強固に守っている「根」。大地の神経縮図のように無尽に張り巡らされたこの「根」の存在は、参拝者にとって非常に大きな意味を持つ。ところどころの根にグラつきがまるで無い。一見か細い根のようでも、自分の体重ぐらいではビクともしない。枯れた木と違い脈々と生きている証拠である。

野際稲荷

ひっそりと最初の建物「野際稲荷」がある。

かずら坂?

これが「かずら坂」か?いや、多分違う。結構な傾斜だが、標識があるわけでもなく、同行者も全体的に根が露出していてどれが「かずら坂」だかよくわからなかったと言う。登っている最中は夢中になっていて、特に気にも止めなかった。(笑)確かにそれらしいのはあったような気がするが・・。

もしかして・・、登る前は、もの凄い木の根が露出している、ある特定の坂の名が「かずら坂」と特別に名付けられたのかと思ったのだが、どうもそうではないらしい。「かずら坂」とは言っても、ある特定の場所が「かずら坂」ではなく、こうした道中の根が露出した道(坂。とくに前半)を総称して言うのであって(想像)この写真の坂も「かずら坂」になるのだと思う。そうだとすると、「かずら坂」ずいぶんあったな・・。

このような「かずら坂」を何坂かクリアしていく。前日、当日共に凄い快晴であったが、やはり泥濘(ぬかるみ)が各所にある。しかし、この投入堂修験道は、木の根がなければ完登もままならない。ホントに木の根様々だ。

「ありがとう!木の根さん」。

心の中で御礼を述べつつ、一礼。こうした状況は、やはり「登らせて戴いている。」という言葉しかない。



しばらくこんな道を連続して登っていくと、いよいよ文殊堂が見えてくる。




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