16角への誘い。重要文化財 野木町ホフマン煉瓦窯が凄かった。
03 25, 2017
建物記ファイル№0067
野木町煉瓦窯・旧下野煉化製造会社煉瓦窯
Nogimachi-rengagama
さて、
前回のエントリーは深谷にある旧煉瓦製造施設を訪れました。ここは東京駅や赤坂離宮、日銀などの建材煉瓦を造っていた工場でもあります。
煉瓦にそれ程興味があったわけでは無かったのですが、日頃から目にしている建物の建材がいったいどのように造られているのかを知ることは面白かったし、何より勉強になった。
煉瓦窯自体が貴重なものだというのは知っていましたが、具体的なことが何一つとして分からなかった(知らなかった)ため、今回の旅行は結構な衝撃でした。(笑)良かったのは、同日に深谷と野木町を回ったこと。これによりそれぞれを補完する情報が得られた。具体的には、深谷は窯などの建築的なハードは野木町に劣るが、資料的なソフトや歴史的背景が充実。野木町は建築は完璧だが、資料がやや乏しい。
自分も予習的に浅い知識を詰め込んでいったのですが、やっぱり実物は凄いものです。特に野木町が刺さった。
深谷のホフマン6号窯も良かったのですが、見学できる部分は一部に限られ、特に二階部分が見えなかったので全体像が掴みにくかったが、こちらはほぼ完全な形で現存している。この視覚的な差が印象を大きくしたと思う。
ちなみにですが、現在日本に現存するホフマン窯は4基しかありません。埼玉県深谷市と、ここ栃木県野木町、京都と滋賀にそれぞれ1基づつ。ただし、京都と滋賀のホフマン窯は残念ながら現在一般公開されていません。それだけ貴重な建物ということでしょう。
まず、何はなくともこの外見です。外見的な野木町の窯は一目瞭然、建築好きにとって非常に魅惑的な建物になっています。
六角堂や八角堂っていうのは結構あるんですけど、16角っていうのはなかなか聞いたことがありません。しかも、御堂の六角や八角と違い、この窯の16角には明らかに必然性がある。故に、これは決して奇をてらったデザインありきの建物では無く、効率的な発想理念からうまれた必然的な形なのである。
実はこの野木町煉瓦窯は、度重なる地震の影響で長い間修理に入っていた。およそ10ヶ月前、平成28年の5月に修理から復活したばかり。まだ一年も経っていないので、見えるところは旧さの中にも真新しさを感じるほどである。
昔サーカス小屋のような形でこういうのを見たことがあるが、それでも16角はなかったぞ。(笑)
入口が各部屋にあり独立しているわけでは無く、中で繋がっている。輪窯であるので役割は全て同じ。この16部屋の内の何部屋かが燃焼専用室・・・というわけではないのだ。すべてが同じ役割を担っている。各部屋に煙道ががあり、煙はそこを通り煙突から排出されている。
外観的な特徴といえば、この窯には二階への出入り口とも言える階段が対極に二カ所設けてある。粉炭などの燃料を上に上げるためだ。一見何の変哲も無いような階段だが、登りやすいようにステップが自分側に傾いているのが面白い。何十キロもの粉炭を一日何往復もするのはかなりの重労働。少しでも軽減しようとする知恵だ。実際に登ってみたが、かなり登りやすい。ただ、上りが楽な分、下りは膝に来る。(笑)
分かりにくいかもしれないが、各ステップ手前側に傾斜が付いている。段差は低くゆるーいバリアフリーのスロープのようだ。確かに足下が見えなくても上がりやすい。
そして、そこを上がると、普通では見慣れない景色が広がっている。
というわけで、先に二階部分に上がってみた。
深谷のホフマン六号窯と違い、野木町ホフマンは二階があり、完全公開されている。(深谷六号窯は三階建てだが、公開は一階の窯部分のみ)
この貴重な光景が見られるのはここ野木町だけだ。
関係ないが、自分はこのデザインというか空間的なビジュアルが非常に美しく感じ、凄く気に入った。(笑)
形自体はそれ程複雑では無い。屋根の木材や耐震のためアンカー、補強が見られるが、それを外すとかなりシンプルだ。中央部分が凹になっており、一段低い。粉炭は一段高い部分から投入することになる。上段部に円形にレールが敷かれ、重い荷物を運ぶために炭車という小型のトロッコのようなものが使用された。尚、写真にある円形に組まれたコンパネは、床が傷まないように見学者のために敷かれたもので窯には何ら関係ない。
一段高い部分には、投炭孔(とうたんこう)と呼ばれる粉炭を入れる穴が規則正しく並ぶ。この投炭孔が一階の各16部屋とそれぞれ繋がっている。
この投炭孔の蓋は別の場所で持つことができたのだが、見た目ほど重くなく、何度も開けたり閉めたりするため非常に軽く造られているのでビックリした。
二階部分の簡易CGを作ってみた。(かなりデフォルメ・笑)基本的な部分はこんな感じだと思う。
投炭孔は扇型に5列に並ぶ。ただ、各部屋の境目が二階からではわからないので「一部屋につき何個か?」というと、地味に一階部分を数えるしかない。(笑)なので、ここでは不明とさせていただく。
炭車の為のレールは内側と外側に配列されているが、炭車自体は現存していない。資料も多分残っていないようなので復元しようがないのだろうが、推定でも良いので復元したら良いのではと感じた。
それにしても唯一無二、独特の空間。
何度も言うようだが、薄暗い中に投炭孔が鈍く輝る様は、何かSF映画のワンシーンを見るようで感性を揺さぶられる。
もしかしたら、人が全くおらず独占で長い時間見ることができたのが、そういったものを呼び起こしたのかもしれない。だけど、この後、ここは子供の運動場と化す。(笑)
中央には八角形の煙突が聳え立つ。投入口の様に見える部分から縦に入った亀裂が生々しい。これは関東大震災の際入ったものだそうだ。
燃焼に伴う熱や煙は煙道を通り、煙突へ抜ける。煙突自体は二つの空間に分けられ煙を排出しているようだ。
各解説は図解や写真付きで分かりやすい。
そして、煙突により近い部分にある、これが煙を制御するダンパー開閉器とよばれるものだ。引くとこのような形になる。更にこの下にダンパー本体部分がある。
ダンパーは、煙を遮蔽するのは勿論だが、寧ろ開け閉めすることにより空気の流れを制御するものと考えた方がいい。部屋が連動しているため燃焼していない部屋のダンパーを開けると空気の流れが出来、一気に動く。その熱を利用し、乾燥や余熱を行う。このダンパーは各部屋につきひとつあるので、合計16基あることになる。
断面図を立体にするとこんな感じになる。写真を見る限りでは、煙排出に伴うダンパーの動きは単純な開閉だけのようだ。
さらに一部屋を単純にCG化するとこんな感じか。黄色い矢印は煙の位置。ダンパーは赤、ダンパー開閉器は青。
断面図からだとダンパーとダンパー開閉器の間に空間はひとつ。
燃焼システムについては、CGに起こして更に分かりやすくしようとしたのですが、本家のパンフレットの方が遙かに分かりやすいことがわかり、中途半端になってしまった・・・(苦笑)このパンフレットは非常に分かりやすく描かれており、野木町のホームページからダウンロード可能(PDF)ですので、興味のある方はご覧になるとこの輪窯のシステムがよくわかると思います。
野木町・ホフマン窯のPDF
さて、
窯の方(一階)にもどるのですが、ここ野木町ホフマン窯では観光客のために窯の見せ方にも工夫がされています。
手法はふたつあり、ひとつは、補強部を見せないこと。これにより、オリジナルに近い状態で窯を感じることができます。煉瓦は基本耐震的に弱いためかなりの苦労が想像できます。また、当然ながらコストも掛かります。
逆に補強部を見せる手法も取り入れています。これは、どのように補強したのか、その状態を知って貰うことが第一。また、隠す補強よりもコストが安いことが主な理由です。
写真は16部屋のうち最初期に点火する点火窯(ロストル)を復元したもの。これは点火が終了すると壊してしまうそうです。
輪窯とはいえ、勿論半永久的に火を点けっぱなしというわけではなく、何回かはメンテナンスなどのため停止したそうです。その度にこういった点火口を作る必要があります。すぐ壊しちゃうんで勿体ないんですけどね。
各入口はこんな感じになっている。当然ながら燃焼中の位置によっては、完全に塞がれる場所も出てくる。何度も塞いだり開けたりしていると当然ながら傷みも早い。こうした建物は周りに何も無い場合やはり南側から痛み始める。煉瓦だけにところどころ雨などに浸食され溶けている部分も多い。
ただ、この入口はかなり状態の悪いものを敢えて撮ったもの。他は修復もしたことも有り、状態は良い。
各部屋に関しては深谷のホフマン6号窯と基本的に同じだ。
右は少し前に行った韮山反射炉の煙突部。野木町の方も耐震補強はしたそうだが、高さがあるだけに大変だったそうだ。
関東大震災の際に煙突に裂け目が入ったのは先述したが、その際に崩落した煙突の一部が残っている。
これは修復の際見つかったそうだが、何と!窯の二階部分に埋め殺しにされていたそうだ。重くて分解できなかったのだろうか。ただ、その事故が幸いしたが故に当時の煙突も貴重な資料としてこうして目にすることができるわけだ。
あまり長くなりすぎるのでこの辺にしておこうと思うのだが・・・。
ここ、野木町のホフマン窯、これだけのものを見せてくれて入場料はたったの100円(中学生以下無料!・ガイド付)だ。安いのは良いのだが、個人的には整備費用も含めもう少し取ってもいいんじゃないかと思う。
日本近代化に大きく貢献したここ野木町のホフマン窯。パンフレットによると、栃木県内には赤レンガ造りの建物がいくつかあるが、それがここ野木町のホフマン窯で焼かれたかどうかというのは、確実なものを含めるとそれ程無いそうだ。おそらく焼かれたのではあろうけど、記録が残っていないらしい。自分も帰り際、ひときわ目立つ煙突を見つけた。西堀酒造煉瓦煙突。ここは野木町のホフマン窯で焼かれたという記録が残っている。
野木町ホフマン窯は16部屋あり、一室約14,000個を焼くことが出来る。全室では約220,000個、焼成温度は約1000度で、123日掛けて一周したという。
二回にわたり日本の近代化に大いに貢献してきた煉瓦(会社)についてエントリーしてきた。普段目にする煉瓦の建物については多少の知識はあったにせよ、建材としての煉瓦に目を向けることは無かった。
貴重な建物を見られた喜びを関係者各位にお伝えしたい。
ありがとうございました。
日本で希に見る16角の魅惑の建造物に誘われ、これからは煉瓦造りの建物の見る目が大きく変わりそうだ。