日本一危険な国宝25 特別編 3

09 25, 2011
三徳山 三佛寺 投入堂 完全解剖 特別編3
Mitokusan Sanbutsuji Nageiredou (kanzenkaibou-seisakuhen) Special3
Kazz日本全国「古(いにしえ)」の旅
年輪年代法とその応用

投入堂・日本一危険な国宝シリーズ23 特別編1
投入堂・日本一危険な国宝シリーズ24 特別編2
(初めての方は↑こちらから。クリックで新しいウインドウが開きます。)

いよいよ3回目となる「投入堂・日本一危険な国宝シリーズ・特別編」
今回を入れて残すところあと2回(全4回)になりました。
3回目となる今回は、前回時間切れでできなかった暦年標準パターン造り(以下標準パターン)から始めたいと思います。(ヒノキ)

標準パターンの考え方を詳しく追っていきます。
例えばわかりやすく今年・2011年からの標準パターンを作成するとしましょう。
まず必要なのは2011年に伐採されたヒノキです。
ここでは原生木ヒノキの平均的な樹齢というのがわからないので、ひとまず例としてその樹齢をキリ良く500年とします。

まず日本全国から2011年に伐採されたヒノキ試材を集めていく。数としては最低20(事例)以上集め、集めた各試材から各年の年輪幅を計測、それを総平均し、まずは個体による年輪幅のバラつきを削除する。
総平均とした試材20の事例を元にグラフを作成する。
標準パターンの基本
※注 この場合のように試材によってはその先端が西暦1500年より前(西暦1400年頃)にあり統一というわけにはいきません。この1400~1500年の期間の年に関しては、20事例をクリアしていないので連鎖は出来ないと理解しているのですが、ちょっと確認が取れていませんので?とさせていただきます。

これにより、まず第1段階として基本である「西暦1500年(前後)年から2011年までの暦年標準パターン・1」ができあがります。
伐採年代がハッキリしている2011年から過去に遡る原生木は、その年輪を地道に計測していけばおのずとどのぐらい古いヒノキであるのかが判明します。(例としてこの樹齢500年なので約500年前の西暦1500年)

ただ、やっかいなのはここからです。
試材集めという点では原生木は比較的集めやすいといえますが、ここから先が非常に困難です。
今度は2に相当する範囲のヒノキの試材を集めなければなりません。1に連鎖させるには、伐採年代が最低でも西暦1600年以降であることが必要です。それより前だと100層以上での連鎖ができなくなり、パターンの照合が認められなくなります。

500年以上前の試材として良質なヒノキなどそうそうあるもんじゃありません。

■連鎖の条件 「標準パターンに連鎖せよ!」
連鎖するパターンとして問題になるのが前回も勉強した年輪波形なのですが、奈良文化財研究所では連鎖できる条件として基本的に年輪が最低100層必要だとあります。(理想は200層以上)つまり、最低でも100年間は重複する年代を有する木が必要だと言うことです。
これは前回(特別編2)でも述べたように、木の若年(齢)時に受ける個体差によるバラツキを防ぐため、中心部分の100年が切り捨てられるためです。(有効年輪は外側100年。)
上図「標準パターン連鎖の考え方」を見るとよくわかると思うのですが、
ここでは、試材1、2、3について考えることとしましょう。
標準パターン連鎖 1
試材1は西暦2011年から西暦1500年までの範囲の標準パターンをもったものです。この、「標準パターンを持つもの」というのは、既に20以上の同年代の試材から平均の年輪幅を取り、標準パターンとして完成された年代範囲のものです。
これに試材2を連鎖させます。
たまたま遺跡発掘などでこの時代に相当する木製品が出土したりしても、それ一本が即1に連鎖可能かと言えばそうではありません。まずは出土した木自体を徹底的に調べる必要があります。
こうして時代の脆弱部をドンドン埋めていかなければなりません。

試材2の年輪幅を調べ、1に連鎖させようとしますが・・・。

出来ません・・・。

この試材2は年輪幅を調べると、伐採年は西暦1550年付近で、標準パターンを持つ1と50層はその波形の一致が認められましたが、重複年が100層以上という最低限の基準をクリアできていないので連鎖は認められません。

50年では年輪波形の「質」を取るのに足りません。
この時、実は試材2と3は連鎖できる環境にありますが、この両方とも1のように標準パターンとしての事例数をクリアしていないので、正確には連鎖は認められません。連鎖は、あくまで標準パターンとして完成された試材1に限られます。この1に連鎖してこそ初めて標準パターンとして取り込むことができます。

さて、ここで八方ふさがりです。
こうなってしまってはどうしようもありません。

時間的な戦いが始まります。
ただ、天に見放されてはいなかった・・(笑)

ザックが見つけた木
「おおっ、まだ仮名のZZAK君ではないか?・・ところで、その木はどうしたの?」

この八方ふさがりの状況下に何やら動きがありそうです。
・・・まあ、ここでZZAK君が見つけてきた木の大きさは大袈裟だとしても、年代の古い木は原生木としては限界があり、どうしても発掘試材や、保管されていた古材などにその出所が限定されます。
こうしたものは「狙って出せる」ものではないだけに、我慢強く待つしかありません。

これが前回言っていた「運(LUCK)」なのです。
実際こういう事例は数多く報告されています。遺跡調査などにおいては事業主や施主との時間的な制約や金銭的な問題も多く部分的な試掘などで済まさざるを得ないケースもあります。必ずしもこうした調査に100%理解を示して協力できないことも考えると、こうした貴重な試材を得られることはそれだけでも大変なことであるのです。
標準パターンの連鎖2
救世主とも言える試材5が見つかったことにより標準パターン造りは再加速していきます。
発掘現場における木製品などの有機物は古ければ古いほど土壌に分解されていきます。その殆どが残存しないため出土するには特定の条件下でないとなかなか難しいことと言えます。
新試材5はその残存状況の良さもさることながら、幸運なことに標準パターンとして既に完成されている1に大部分の年代が被ることがわかりました。故にその年輪波形の照合でそれが連鎖するということが認められれば、即1に取り込まれ、その先端を200年先に延ばすことができます。

上図を見ていただけるとわかると思うのですが、新試材5が介入したことにより標準パターン造りは順調にその先端を過去に延ばしていきます。
これにより新試材5を取り込んだ標準パターン1は西暦1300年までその先端を延ばすことに成功し、なおかつ試材2にも連鎖できる可能性があります。
そして、それが認められれば試材2を標準パターンに取り込むことが出来、更に西暦800年までその先端を延ばすことに成功します。
有名なゲームではありませんが、3連鎖、4連鎖までできるかもしれません。

このように、試材はあればあるだけ精度の高い標準パターンを造ることができ、理論上は試材さえあればどこまでも過去に遡ることができます。
現在日本ではヒノキの年代測定は紀元前37年まで可能であるということです。(2004年)

奈良文化財研究所
【奈良文化財研究所作成の標準パターンへの個人的疑問】
参考までに奈良文化財研究所が実際にどういう経緯で標準パターンを作成していったか見てみましょう。
見ると原生木で一気に1009年までの標準パターンの作成に成功しています。このデータ開示はあるのかどうかわからないのですが、一気に1000年前までの作成とはどのように行ったのか詳しく知りたいものです。
また、個人的に注目するところは、原生木で1009年まで標準パターンが完成しているにも拘わらずCを取り込むために時代的に全被りのBを連鎖させたことです。直接Cが連鎖しなかったのか。
また、年輪年代法の原理から言えば、A・E・Fの組み合わせでBC37まで標準パターンが出来上がる計算ではありますが、ここにはかなりの問題があったようです。
手元の資料を要約すると、(原生木)1984年から遡って作成してきた標準パターンは、直接Eとは連鎖せずパターンの照合は取れなかった。そこには大きな差があった・・・とある。
これは、冒頭で説明した試材5のパターンとはやや異なるケースである。
ただ、後に発見された試材Dが介入することによりA・E・Fが連結され、BC37までの標準パターンが完成したと言うことだ。A・Eの連鎖をより強固・確実なものとするため、後のB・C・D介入ならばわかるのだが、A・Eを連鎖させるため時代の被るB・C・Dを介入させなければならないデータであった。というのならば何となく解せない。
思うに、詳しいことはわからないが、激しい差を埋め、連鎖させるための数値的な平均がDだったのか?
AとEの年代的に被る連鎖部は直接的にはその差が激しく結局は単体同士では照合はできなかったそうだ。

個人的にこの部分にややひっかかるが、いずれにしてもこのような経緯で現在の年輪年代法のモノサシともいうべき標準パターンは完成を見た。
ただ、この標準パターン造りには色々と問題が指摘されている。それについては今回は長くなりすぎるので取り上げないことにするが、こうした科学的根拠の一端を担う手法が確立されたことは画期的なことである。

出雲大社

【年輪年代法の弱点?】
まだ記憶に新しいニュースとして、島根県出雲大社にある巨大な3本組の柱の痕跡が遺跡発掘現場から出土したことを覚えていますでしょうか?
この写真は昨年島根を旅行した際、出雲大社境内に貼りだしている写真を自分で撮影したものです。
掲示板のようなものに貼ってある中に見えている写真が「古代神殿心御柱」です。巨大とも思える3本の木でひとつの柱を構築しています。このような構成と大きさの柱は日本中探してもここだけでしょう。
ところで、この柱は見ての通り古い木としては非常に状態が良く残存しています。
「これだけ残っていれば正確な年代がわかるだろう。」
誰もがそう思ったもので、もちろん自分もそう思いました。
手前の木などは殆ど残っているようにも見えます。

ところが、意外なことにこの柱の年輪年代特定は不可能でした。
年輪年代法では測定される側の木にも様々な条件が求められます。
手短に言えばこの古代神殿心御柱はその条件を満たしていなかったということになります。

さて、どういうことなのでしょうか?
この古代神殿心御柱を例に挙げ、少し年輪年代法を斜めから見てみましょう。
まず、年輪年代法として特定できる条件として4つのポイントを挙げてみました。

1・年輪が最低100層(100年)以上あること。標準パターンとの照合は100層以下は不可能。(理想は200層以上)

2・樹種が現在年輪年代法としての標準パターンが出来上がっている ヒノキ・スギ・ヒバ・コウヤマキのいずれかであるか。

3・年輪として計測可能な部分が存在しているか。木口・柾目(まさめ)であるかどうか。いずれかなら計測可能。板目は年輪がわからないので不可能。

4・年輪が異型でないかどうか。これは、その木の成長が良すぎすために年輪の通年形成としてその幅が広いまま推移していったり、逆に成長が悪すぎてその年輪が極めて狭い範囲で推移していないかどうか。など。

という4つのポイントです。(本当はもっとあるかもしれませんが・・。)
実はこの条件をひとつでも満たさない場合年輪年代法はその木には応用できません。
古代神殿心御柱の場合一体何が問題だったのでしょうか?

この古代神殿心御柱は見た目の残存状況は最高です。前述したとおり特に写真手前の木は一見完存しているかのような状態の良さです。
まず、この古代神殿心御柱の樹種は「スギ」であるということです。
スギであれば既に標準パターンは出来上がっているので、後は年輪さえ読むことができれば標準パターンと照合ができます。これで、ポイントのうち、2はクリアになりました。
次に、計測可能なポイントが残っているかの検証ですが・・・。
見た目この古代神殿心御柱は直立し、当時のまま埋まっているように見えます。計測のための場所は問題なさそうです。(実際にも問題は無かった。)
これで、ポイント3はクリアになりました。
そして、次に年輪を計測するため、単純に古代神殿心御柱の年輪を読み取り機(または目視)で地味に数えていきます。
すると、年輪形成数は100層前後で、そのまま樹齢が150年~180年であることがわかりました。
これで、ポイント1はクリアです。

「・・・・・!?」

ちょっと待てよ・・。
この古代神殿心御柱の一本の最大直径は約1.35mもある。
「それで、樹齢150年強って何かおかしくないか?」
・・・・と、言ったかどうか定かではありませんが、(笑)
確かに専門家の鑑定ではこの直径であるならば最低300層はあるはずである。ということらしいです。

つまり、この古代神殿心御柱はポイント4に対してNGが出された形になりました。
なぜなのでしょうか?

【年輪年代法に適した年輪】
木も一般的に人間と同様若い頃の土壌の栄養状態、気象条件、その他の環境変化に大きな影響を受け成長していきます。とりわけその中でも「オギャー」と生まれてからの成長進度は凄まじいものがあり、年輪の多くもその木の若い時期の髄に近いほど周辺環境に影響を受けやすく、木自体の個体差が現れやすいそうです。多くは髄に近いほど年輪の幅が広く、時間が経過していくほど狭くなっていきます。
故に、こうした木の髄に近い中心部(若いうちに形成された年輪部)は、木の個体差が激しく現れる部分でもあり、年輪年代法には向きません。
また、せめぎ合い(笑)ながら生育する木は殆どが普通に見られるような通年の年輪を刻むことに対して、競合相手が居ない独立木は土壌の栄養や日光を独り占めできるので、年輪の幅(つまりは良く成長する)が広いと言うことになります。

古代神殿心御柱はその年輪幅の広さから「独立木」であった可能性が高く、年輪自体が非常に広い幅のまま伐採まで推移していたため成長が良すぎる極めて例外的な木と判断され、年輪年代法の適応は不可能(標準パターンとの照合は不可能)であると言うことになったそうです。

極めて例外というのと相反するようですが、こうした異形年輪は自然界では結構見られます。
この出雲大社の古代神殿心御柱とは逆に年輪幅が狭すぎるまま推移しているものもあったり、また、年輪が歪みすぎているものや、錯乱したかのような混迷的な年輪など、見た目は良くても年輪年代法上は適応できない場合が多くあるそうです。

年輪年代法もこのように決して万能というわけではありません。
こればかりは運というものが左右しそうです。

さて、ここまでまだ飽きないで付いてこれているでしょうか?(笑)
これにて年輪年代法の基本的な考え方の90%は終了しました。(自分的には)
年輪年代法 投入堂 4
次回はいよいよ特別編最終回、投入堂の応用に見る年輪年代法をほんの少しだけ見てみましょう。
それに準じて年輪年代法も最後の1項に移ります。




日本一危険な国宝24 特別編 2

09 21, 2011
三徳山 三佛寺 投入堂 完全解剖 特別編2
Mitokusan Sanbutsuji Nageiredou (kanzenkaibou-seisakuhen) Special2
Kazz日本全国「古(いにしえ)」の旅
投入堂 オープニング2

皆さんこんにちは。
ちょっと遅くなりましたが、スペシャル第二弾。
連続ものですので、初めての方はまずこちらから御覧下さい。(クリックすると新しいウインドウが開きます。)

投入堂・日本一危険な国宝シリーズ23 特別編1

今回の Kazz zzaK (+あい。) はいよいよ年輪年代研究法の基礎から入っていきたいと思います。

前回建築を見る際に誰もが考察するであろう興味ポイント4つを挙げました。
それは、

● 誰が建てたか?
● いつ頃建てられたのか?
● どうやって建てたのか?
● 何の目的を持って建てたのか?


この4つです。
但し、これら気になる4つのポイントも、その時代背景、つまり何時頃建立されたかを知ることによりその人物、建築技法などを時代と照らし合わせ推測することなどができるわけである。
勿論逆もあるが、まずは、いつ頃建てられたかを知ることが、その建築を知ることでもあるといえるのではないだろうか。

とはいえ、前回との重複になるが、それはどちらかというと困難な場合が多い。なぜなら、1000年以上も前の資料が完全なる形で見つかることが非常に少ないと言えるからだ。

そこで、注目されるのが、建築(木製の美術品なども)そのもの。実体として現存している部材を調べることによりその年代を知ろうという考え方が生まれてきた。
それが、年輪年代研究法(以下、年輪年代法)だ。
当たり前だが、日本の古建築の建築部材は木である。この木はそのものが非常に多くの情報を蓄えており、その代表例が年輪といえる。
年輪年代法は、極めて簡単に言うと樹木が毎年自然界から受ける様々な影響により形成される「年輪」の幅を利用した年代測定法である。
あらかじめ原生木など「伐採年代の明確な木」からその年輪幅を計測、グラフ化し、同時に日本全国からの試材(サンプル)と、発掘調査などで出土した木製品や柱根などの木材の年輪データをプラス連鎖していき、その先端を遙か過去にまで遡らせる。この連鎖のためのデータを必要分だけ入手し、年代測定の基準となる標準暦年パターン(以下標準パターン)を作成する。あとは、年代の知りたい木材などの年輪データを計測し、この標準暦年パターンと照合すれば良い。

ザックリと説明するとこういうことになる。

「言うほど簡単ではないよ。」
と関係者が見たら怒られそうであるが(笑)、基本的な原理はこのような感じである。

ところで、年輪が持つ情報はなにも年代特定だけに限られたものではない。
年輪は単にその木がもつ樹齢を現すだけのものではなく、それを介すことにより広くは過去に起きた気象データなども取り出すことができる。暖冬や冷夏。年輪はそうした変動に繊細に反応し、その年輪を形成していく。年輪とは実に様々な情報の宝庫なのだ。
現在では、単に年代だけを特定するものだけにとどまらず、年輪から色々なデータを読み取る研究法が数々あるが、ここでは年代特定に関したいわゆる年輪年代法について、知る限り掘り下げていくことにしよう。

【年輪年代法の誕生】
年輪年代法は19世紀の初頭アメリカのA・E・ダグラスという名の天文学者が開発した。
その後自国はいうにおよばず、ヨーロッパでも広く用いられ、日本でも1980年頃から奈良文化財研究所により、古建築、美術品などの分野において年代特定に実用化され、より精度を高め現在でも進歩している。

木の年輪が一年一年その輪をつくり、それがその木の年齢(樹齢)であるということは、確か小学生低学年の理科の時間に習った気がする。また、その年輪の中心部が寄っている方(狭い)方が北。何てことも習ったような気がする。(※実はこれはまったく関係ない。)
ただ、当時はそれ以上年輪について詳しいことは勉強などしなかった。
子供心に木も植物だから暖かい方が良く育つはずだから、年輪も南の木の方が大きくなり、北の木は小さいのか。
そんなことを想像していたような気がする。

さて、前置きが長くなったが、ここからこの年輪年代法について具体的に説明していくこととしよう。
・・とその前に、このブログはマニアックなものであるが、難しく書いたり専門用語を極力使用しないことをポリシーとして各記事をエントリーしている。
ただし、今回の「年輪年代法」についてはなかなかそうはいかない。最低限の専門用語が出てくるが、その都度説明していくのでクドいと思いつつも読んでいって欲しいと思う。

まずは写真を見ながら年輪のことについて基本用語をおさらいしながら見てみよう。(写真はケヤキ)
適当な年輪の写真・・・切り口が新しくて年輪のキレイなもの。これが探すとなかなか無いんですよ。(笑)
ようやくそれっぽいのを見つけましたので、この写真で名称を確認しましょう。
年輪各部名称 2
髄・・・・・年輪中心部分
心材部・・・年輪の中心付近の色が濃くなっている部分(赤味または赤身)
辺材部・・・心材部の外側にあり色がやや薄くなっている部分(白太)
最外輪部・・樹皮直下の年輪の一番外側の部分
樹皮・・・・皮の部分


とりあえず、ハイ、記憶。
これらの名称を覚えて下さい。年輪年代法のポイントとなるのは特に心材・辺材・樹皮です。
この用語は年輪年代法を解説すると頻繁に出てきますので是非覚えて下さい。損はしないです。(笑)

ちょっと説明しますと、この心材と呼ばれる中心に見える色の濃い部分。別名「赤味(赤身)」と呼ばれるだけあって、切り口の中でも一段濃い(やや赤く見える。)部分です。これ、なぜ色が濃くなっているかご存じでしょうか?人間のように中に脈々と血が通っているのと同じで生きているので濃いんじゃないかって?
いえ、反対です。
実はこれ死んでいる細胞なのです。
近所に古い切り株があったら見てみてください。木が死ぬ場合は多くの場合髄に近い方から腐っているはずです。
輪っかのように中心が全くないようなものもあります。
このように切り口を見ただけで、この木の成長過程がわかります。また、健康であるか、病気であるか。素人でも木の年輪部分を見ただけで何となくですがわかってしまうから面白いものです。
それとは逆に、やや白く見えている辺材部は生きている(伐採時まで生きていた。)細胞です。
心材部と辺材部の関係として、心材部の最外輪が一輪大きくなるかわりに心材部に一番近い心材部と辺材部の境界の一輪が死細胞となり、死んでいくのです。
このように木は成長していきます。
年輪年代法 早材晩材
そして、これも覚えなければなりません。

早材は春から夏にかけて形成されるもので、晩材は夏から秋にかけて形成されるものであり、この両方を合わせた成長幅が丁度1年の年輪となります。年輪を見たとき、線のような晩材部は一見一年の年輪の境界線みたいなものであると考えていましたが、この線に見える非常に細い部分でも僅かながら木は成長しているのです。
これが年輪の拡大模式、早材・晩材の違いそして、年輪の簡単な説明です。
実際の写真で見るとこのような感じになります。
年輪アップ 早材 晩材
あえてキャプションは打ちませんでしたので、皆さんの目で確認してください。
よーく目を凝らして見ると・・。
やはり一見濃い単なる線に見えていた晩材部でも幅があり、その中で微妙に成長している様子がわかります。

確認できたでしょうか。

さて・・・これで、大方の用語は覚えました。今度、木の年輪を見たときには多分忘れないでしょう。
近所でたまたまきれいな年輪を見つけたときには当ブログを思い出して、じっくり眺めてみてください。
ここからは、年輪年代法の核心部に迫っていきたいと思います。

【年輪年代法のモノサシ。「暦年標準パターン」の作成】
年輪年代法においてまず最初にすることは何だと思いますか?

例えば、いきなり投入堂のパーツの一部を持っていって、
「これ、年代測定してくださいっ!」
って元気よく言ったとしても、門前払いを喰らうだけです。

いや・・・(笑)今本物の投入堂の古材を持っていったら歓迎され喜んで鑑定してくれるでしょうが、その昔、ほんの20年ぐらい前までは、それをやりたくてもまだできなかった時代でした。日本で年輪年代法の確立できていなかった1980年頃、まだ日本の年輪年代法はこの暦年標準パターン造りに取り組んでいたのです。

アメリカで最初に年輪年代法が開発されたのが1900年の初頭。実に80年間ぐらいした後、ようやく日本の奈良文化財研究所が本格的な取り組みに入っていくのです。

年輪グラフ一例

年輪年代法の代表的な波形を一例として作り方をちょっと模式化してみた。
このような感じで一年一年年輪の幅を計測していき、これをグラフ化していく。
それほど難しくは無く、グラフ自体はシンプルなものだ。
ただ、計測の実際は1ミリの100分の1まで計測され遙かに難しい。
ヒノキ標準パターン2

この標準パターンの作成の実際は次回(特別編3)で紹介するが、ここでは基礎編としてザックリと標準パターン造りの手順を説明していく。

基本的には・・。

まず日本中から集めた試材(原生木「伐採年代の判明している木」)の年輪幅を平均化し、1を造る。
この完成した1の標準パターンが500年分とする。
今度はこの1に最低100層以上(つまりは100年間以上の年輪波形の一致が最低条件)連鎖(A)させ、2をの標準パターンを作成する。
これを繰り返していき、過去を遡っていく。
そうすると理論上は延々と過去に遡ることができる。
・・確かに理論上はそうだが、過去を遡っていくとは言え、そうそう都合の良い木があるワケじゃない。試材という点からも古くなればなるほど探すのが難しい。

計測は顕微鏡や年輪読み取り機なるものにかけ、基本的には人による目視で年輪を計測していく。
ご存じのように、年輪とは実はきれいな円ではなくゆがんでいたり、その円が途中で途切れていたりする。
成長の過程で何らかの理由が発生したことによる「偽年輪(ぎねんりん)」というヤツがその正体で、これを誤って一年とカウントしたりすると、とたんに全体の波形が合わなくなる。
また、必ずしも計測するための試材は平面ではなく、立体だったり、環境的・作業的に非常に計測しにくい場所にあったりもする。非破壊であることなども条件に求められる。
こうした難しさもあり、年輪の計測、つまりは標準パターンの作成は思っている以上に難しさを伴う。

年輪年代法は、その結果によっては簡単に歴史がひっくり返る可能性もあるため、作業そのものは厳密過ぎる正確さが必要なことは言うまでもない。標準パターンの作成には神経の張りつめた作業が続き、関係者の苦労が伺われる。

ここでは標準パターンの基礎編をザックリ説明しましたが、この項は後にまた詳しく説明いたします。ここでは、概要だけに留めておき、まずは以下を見ていきましょう。

【暦年標準パターン造りの壁?地域差と樹種】
「もしかしたら、この標準パターン造りは地域別、樹種別に作成しなければいけないのか?!」
この大変な標準パターン造りを樹種別・地域別に作成していたらそれこそ大変な作業になる。
時間や、試材を調達する上で無制限と名の付くものならばそれも可能だろうが、現実的にそれは難しい。

そこで、逆にひとつの暦年標準パターンを作成して、それが日本のどのような範囲・樹種まで適応可能か?それをまず原生木で行う必要がある。

日本の年輪年代法では現在4種類の樹木のついて年輪年代の特定が可能となっている。その4種類とは、ヒノキ、コウヤマキ、ヒバ、スギだ。逆に言うとこの4種類以外は年輪年代の適合が不可となっている。

日本の古建築において最強の木材ということであれば、ヒノキはその筆頭にあげられるだろう。
何を持って最強とするかは別としても、少なくとも1000年以上の前の建築物が倒壊せず、部分的には腐ってもいないことからもその強さを証明できる。永年的使用という観点からもヒノキの歴史は非常に古く、建築材としても非常に優秀だ。奈良文化財研究所でもこのヒノキの過去に遡る試材が豊富にあり、最初の標準パターン造りとしてはもっとも適切であると述べている。
ちなみに余談だが、投入堂もその材は殆どの部分が良質のヒノキで造られている。
それで、ここではまず、ヒノキを例に取り、実際に年輪年代法を行うまでの流れを追っていこう。
檜分布
よく、年輪年代法に疑問を持つ人はこう考えている。
日本の北海道を除く範囲に生育を分布するヒノキ。例えばこのヒノキは北は東北から南は屋久島まで生息している木だが、その北限と南限の生育環境は明らかに違うはず。例えば、北のヒノキは寒い地方の影響を受け、南のヒノキは暖かい地方の影響を受ける。当然年輪においても大きな差異が生まれるはずだ。
檜距離
確かにそうだ。
となると、やはりここでひとつの疑問が生まれる。

「果たして、北限のヒノキと、南限のヒノキではその年輪に本当に差はないのか?」

何回も言うようだが、地方において大きな気象的な差がある日本には加えて四季がある。複雑な気温変動の差が年輪に微妙な差を与えることは考えるにおかしくない。
一部では日本における年輪年代法の開発の遅れには、これが大きな足枷(あしかせ)になっていたという見方もある。
ただ、やらずして何という。
この問題は年輪年代法にとっては確かに避けては通れそうもない問題となるはずだが、例えばこう考えたらどうか?
人でも東北の人と沖縄の人では少し感じが違う。ただ、それは何となくであって、人というくくりであれば明確に差が出るものでもない。東北の人の同年代の身長と沖縄の人の身長が著しく違うかと言えばそうでもないだろう。
人と同じに考えるのは一概に無理があるかも知れないが、もしかしたら木においても日本国内・同種であれば天と地ほどの差はでないのではないか?
ヒノキ 相関図
奈良文化財研究所はいち早く原生木での日本の地域差の相関関係に着目し、それを実行した。
結果、原生木でそれをやると基本的に相関適合範囲はかなり良好であることが判明したということだ。
木曽系ヒノキの場合、本州及び四国あたりまでのスギ・ヒノキなどとも高い相関関係にあることが判明した。
言われるほどの差は無かったと言うことだ。また、屋久島のスギと四国(高知県)のヒノキやスギとも同様に高いレベルで相関関係にあることが判明した。年輪年代法上この上ない朗報だ。
年輪比較
個人の考えとして述べるに留まるが、こういう事なのではないか?
例として架空の年輪波形グラフを作成してみた。
相関関係にある樹種が言われるほどに大きな差異が見られないということに関しては疑念が完全に払拭されたわけではないが、(パターン造りの為の試材が不十分だという人もいる。)それぞれの地方、生育環境、年々の気温の変化などが年輪自体の形成を司ることは容易に想像できる。そして、それらの要因は全国津々浦々それぞれが個別にあることも同時に間違いはない。
こうした微弱な差に見られる年輪波形グラフ(上図)は、それ自体は大きな目で見ればそれほど問題ではなく、年輪年代法上は、一致していると思われる。

木に限らず自然界に生きるもの(生物)には同種であれ少なからず個体差というものが基本的には存在するが、それは多くの場合若年期に記録されることが多い。木も例外ではなく、年輪の中心部分にその個体差が現れやすい。
年輪年代法では、相関関係において百年を目安としており、相関関係を照合する点においては、そうした個体差の部分は極力切り捨てられる。例えば200年の樹齢を持つ木ならば、前述した個体差を具体的に取り除く作業として、有効年輪を外側の100年とすることでそれを防いでいる。
こうしたことから、よく言われる「一致」とは、何も各年の山の頂点や、底点が全くの同一、つまり「完全に一致」しなければならない訳じゃないことが理解できる。
声を大にして言いたいのだが、それは、自然界では間違いなく「起こり得ない。」
顕微鏡を使用し、一ミリの何10分かの1の世界の中で求められるのは具体的な数字の一致ではなく、波形の「質」の一致なのではないだろうか。
上の年輪波形グラフはその点を考慮すると、紛れもなく一致していると考えられる
年輪グラフ3
これを踏まえ、では、今度は逆に一致と認められない例を挙げてみよう。
ここで同じグラフではあるが、高知県のヒノキ・スギのグラフ(青)のみを一年間だけ古い方へズラしてみた。
するとこの様である。何百年かのうちの一年がズレただけで、全体の波形は全く違うものとなってしまう。
勿論こういうのは一致しているとは言わない。
言葉は悪いが、同年における多少の強弱の波を仮に大目に見たとしても、数百年単位での全体波形は絶対にごまかせない。
年輪年代法とはそれほど精度の高いものなのだ。
よって、上図の樹種同士は相関関係には無いということがわかる。
年輪グラフ2
今度はさらに意地悪をして波形グラフの波をいじってみよう。
全ての樹種の年輪波形が殆ど一致している中で、2005年に木曽系のヒノキの波形グラフだけ他と違う異常を示す年輪が刻まれていることを示すものだ。こういう事例は自然界の年輪でも多く見られるそうだ。
さて、この場合は一致しているというのだろうか?

そう、答えはYESなのです。
確かに年輪には様々な情報が記されている。この2005年、木曽系ヒノキを取り巻く環境には何かがあったことが考えられる。
ただ、このように、2005年に何かがあったことはわかるが、数年の(このグラフでは一年の)異常でしかない。
これはそのまま全国的な樹種相関関係にも言えるもので、年輪波形に見られる多少の上がり幅、下がり幅はあるかもしれないが、数百年単位を標準とする年輪年代法上ではその計測に何ら障害はないと考えられている。
我々が懸念していた「地域差による年輪の差異」は、実はこのような年輪の「質」を対象とする年輪年代法では例外を除き、特に問題なくクリアになったものと現在では考えられているようだ。

これにて結論としては、ほぼ全国におけるヒノキ年輪パターンの適合範囲は、その木種を超えてもかなり広範囲に及び可能と言うことがわかった。
やはり、やらなければ何もわからないものだ。

・・というわけで、その適合範囲により標準パターンはかなり「使える」ことがわかったわけだが、ここまで来たら次は実際に標準パターンを作成していかなければならない。
順番としてはこの特別編2の冒頭に話を戻す。

この標準パターン造りは大変な時間と労力と「運(LUCK)」を伴う作業となる。
2011年からの年輪のパターンを作成するとして、必要なのは、まず原生木・もしくは伐採年代のハッキリしているそれぞれの樹種である。

っ・・・とここで時間のようだ。
ここまで年輪年代法について大方わかっていただけたでしょうか?
次回 Kazz zzaK (+あい。)では、本文中にも触れたこのヒノキを例に取りその標準パターン造りを掘り下げてみよう。
投入堂 縁板3
そして、問題となるのが・・投入堂北側「縁板3」の謎。
投入堂のこの部材は年輪年代法における年代特定の「ある条件」を含んでいます。
なぜ投入堂の建立時期が西暦1100年頃と発表されたのか。具体的にモデルを使って解き明かしていこうと思います。
意外な事実がわかります。(次回ここまでいけるかなぁ・・・。多分無理かも知れない・・。)


投入堂の建立時期はいつなのか?その謎に徐々にではあるが近づいています。


ⓚAll Rights. Photo by Kazz with GXR A12 50mm 28mm
ⓚAll Rights Reserved. CG Kazz zzaK (+あい。)





本文についてのおことわり
現在、特別編では投入堂を通してこうしたブログなどではあまり目にすることない年輪年代法というものを広く知って貰おうと、誰にでも簡単に、かつ詳しく取り上げています。
年輪年代法は奥が深く、到底この程度の稚拙な文でくくられるものではありませんが、
「興味があるけど難しそうだし・・でも少し知りたい。」という人を対象にしています。
何かのキッカケになれば嬉しいです。
残念ながら自分は関係者ではなく、この本文中の記事の内容は個人的に調べて記載しているのが殆どです。記述内容に誤りがないよう最大限の努力をしておりますが、部分的には個人の推測の範囲が含まれる部分がございます。その点をご了承の上お楽しみ下さい。

参考資料 奈良国立文化財研究所埋蔵文化財センター埋蔵文化財ニュース59.116

日本一危険な国宝23 特別編

09 16, 2011
三徳山 三佛寺 投入堂 完全解剖 特別編
Mitokusan Sanbutsuji Nageiredou (kanzenkaibou-seisakuhen) Special
Kazz日本全国「古(いにしえ)」の旅

投入堂 スペシャル オープニング

日頃から Kazz zzaK (+あい。) にアクセスを頂きありがとうございます。
大変お待たせを致しました。
いよいよブログ開設一周年記念&日頃のアクセス感謝を込めた渾身の(笑)エントリー、
「日本一危険な国宝シリーズ・特別編」が始まります。
面白いか面白く無いかは判断していただくとして・・。久しぶりの大型エントリーでちょっと気合いをいれました。最初に白状しますが長いので何回か続きます。

まだ一年ですが、ブログというものを書くようになって色々なことがわかりました。結論としては、良くも悪くも「見て貰ってなんぼ」ということであります。もし、アクセス数ゼロで絶対に誰にも見られないということであったら、公開する意味がないし、「他人が見てようが自分は関係ない。」なんて自分は言えません。(笑)
出来はどうあれ、とりあえず見てください。
では早速、まいりましょう。

■投入堂・建立時期の謎。

今回で23回目を迎える「日本一危険な国宝」シリーズ。事前の予告通り今回から何回か連続で、アクセス人気ナンバー1の投入堂関係記事「投入堂・完全解剖 特別編」と題して Kazz zzaK (+あい。) 一周年記念のスペシャル版をお送り致します。

「投入堂」といえば以前その建立方法まで深く掘り下げてしまった今、「特別編として何をやろうか?」と少し前から迷ってはいたのですが・・。

そう、ありました。
ちょっと大事な事を忘れていました。


投入堂は実に多くの謎を含む建築物であるのは異論の無いところだと思うのですが、その謎のポイントは大きく分けて4つあると考えています。
そして、これは投入堂に限らず、対象の建築物を見た時に誰しもが思うポイントであると考えています。

まず、
ひとつは、「誰が建てたのだろうか?」
ひとつは、「どうやって建てたのだろうか?」
ひとつは、「何の目的で建てたのだろうか?」
そして、最後のひとつは、

「いつごろ建てられたものなのだろうか?」

この4つです。

そして、このポイントの興味は、対象の建築物により大きくその順番が入れ替わります。
変な話で申し訳ないが、投入堂を例に取り、
「この4つのポイントのうちひとつを選択し、それを明らかにすることができます。」
と言われたとしよう。
この時自分は即答で
「では、どうやって建てたのか教えてください。」
と、その建立方法について訪ねると思う。

但し、これは投入堂に限った話だ。
例えば法隆寺五重塔などの場合、個人的には、誰が建てたかということや、その工法などをさしおいても一連の騒動となっている建立時期がいつなのか対しての興味ポイントが高く、それが最も知りたい部分でもあります。
考えてみれば当たり前なのですが、このように、多くの建築の場合探りたくなるポイントは大きくこの4つに絞られるかもしれないけれど、個々の建築によって、また個人的にも興味の対象はそれぞれに違うものであるはずです。
そうした中でも、自分は投入堂の「建築方法」についての興味が尽きないのだけれども、中にはそうしたものには興味が無く、直接的にどういう人物が建立に携わったのか、ということや、その正確な建立時期について興味がある方も大勢いるでしょう。

謎は謎のまま。

確かに何でもかんでも解き明かしてしまうということは時としてその魅力を半減させることもあります。
手品のタネと同じで、「どうやったんだろう?」と思って考えていることが一番楽しい時間であり、投入堂も本当の建て方がわかってしまったら「なぁんだ。」ということになるのかも知れません。

ただ、そうしたものの「解明」ということであれば逆に心配はいらないかも知れません。
なぜなら、こうしたポイントとして挙げたものの多くは、その資料の行方が、紛失や焼失などによりわからなくなってしまい解読の手立てそのものが不可能であることが少なくないからです。
そういう意味では、投入堂も完全にその一例にあたります。
投入堂に関する古い資料は殆ど存在しません。勿論その建立方法、誰が建立したかについても現在では不明とされています。

こうした古建築や木製品文化財など、建立時代や製作時代の不明なモノに対して現在の状況を打開しようと1980年頃から日本でも「ある」動きが現れてきました。
こうした動きや内容などは一部では有名でありましたが、一般的ではありませんでした。
詳細不明と諦めていた数々の物も科学が進んだ現代では、過去に遡る資料を必要とせずにその謎を解読する方法が無いわけではありません。
この一連の取り組みはそうしたものに対しての一定の成果を上げ、徐々に一般的にも知られるようになってきました。既にかなりの応用化も進んでおり、条件付きながらその年代を特定することも可能になりました。

建立年代を特定することができる。

そうです。この手法こそが、いずれ「投入堂は一体いつ頃建立されたものか?」

という問いに対し、限りなく近い答えを生み出すことになるのです。

■投入堂建立時期・今昔

さて、言わずと知れた投入堂は一体何時の時代の建築物なのであろうか?
その答えとして以前は「建築様式から平安時代中期から後期の建物であると考えられる。」と言われてきました。
では、なぜ資料のない投入堂の建立時期が平安の中期から後期だと言うことがわかったのか、順を追って考えてみましょう。
三徳山鳥居
寺伝として語り継がれている三徳山には数々の伝承さえあれど、三徳山(当時は美徳山)が登場する有名な古い文献としてそれを知るには、大山寺縁起(だいせんじえんぎ)が書かれた時代にまで時間を遡らなければなりません。
そこには投入堂に関して非常に重要な事柄が書かれています。
大山寺縁起 イラスト

このこの古い書物によると・・・

時は平安の末期の1168年。
大山寺と共に、伯耆の国(現在の鳥取県)天台宗の2大勢力と並び称されるまでなった三徳山は、時の天皇の大嘗祭に対する献上品を巡り大きな抗争を起こします。
但し、この抗争は元々が大山寺の内紛のようなもので、大山寺の中の南光院(なんこういん)、中門院(ちゅうもんいん)西明院(さいみょういん)という三院の間で起こったものです。
この時の抗争の図式は、「中門院・西明院 VS 南光院」というものでした。
そして、同じ天台宗派の三徳山もこの抗争に加わり、南光院に加勢します。
この三徳山の南光院加勢に端を発し、投入堂を巡る重大な事件が起きてしまいます。
三徳山が南光院に加勢したことに頭に来た中門院・西明院の僧兵は、お返しとばかりに三徳山に一気に雪崩れ込み、投入堂以下、三徳山の殆どのお堂を残らず焼き払った・・・


投入堂 炎

・・・という一文があるのです。

「投入堂を焼き払った・・?」だと。

この大山寺縁起の信憑性はともかくとして、こうしたものが残されている以上、投入堂建立に纏わる話は、当時から近年まで永きに渡り良くも悪くもこの大山寺縁起ありきの話で、その建立は焼き払われたとされた以降、つまり、古くても1168年10月以降の建立と信じ続けられてきた訳です。

こうした謂われから、大山寺縁起の記述を近年まで信じ続けてきた我々世間一般では、永らく投入堂の建立は古くても焼き払われたとされる1168年以降であるとしてきた。
ただ、これについてはあくまで文献は文献とし、それに納得しない研究者が居なかったわけではない。
その多くは、歴史的背景や建築技法などの考察から大山寺縁起に縛られたその建立時代に対する呪縛を切り崩そうと考えていた。
ただ、いかなる手法を持ってしても論議のみでそれを特定することは非常に困難でした。
それ故、確かに投入堂は古い建築ではあるが、具体的に「何時何時のものである」という明確な回答は出来るはずもなく、その回答は「平安時代中期だろう。」「いや、鎌倉の最初期だ」などと言う曖昧な表現に留まってきた。言わずもがな、それを証明するためにはやはり確固たる証拠が必要だったのである。
これは、特に投入堂に限らず、資料が現存していない古建築全般に言えることであり、同時に建立時代の特定はそれほどまでに難しく(事実上不可能)そこに決定的な(科学的)証拠が無い限り、その特定は近年まで平行線を辿っていました。

確かにそうだ。
建立に纏わる一切の資料が不明の投入堂に関する真実はもはや誰にも知る術が無い。その建立方法、建立者と共に永遠に藪の中に葬られたようなものである。
そうとしか言いようがなかった。

ところが・・・だ。
驚くべき事に、藪に葬り去られたかに見えたこの永遠の謎のひとつ、その建立時代に対してある手法を持って突如として科学的証拠が突きつけられたのだ。その手法は一部では有名な話であり、正確には我々が知らなかっただけであるのだが、こうした場所の研究機関において、投入堂建立に纏わる謎のベールは、一枚、また一枚と徐々にではあるが剥がされていたのだ。

そして・・、

平成13年10月27日、とある記者会見の席上で、一般向けにこの謎多き投入堂に関して驚きの発表が行われた。
記者会見

その内容はまさに驚嘆に値するものであった。
投入堂の建立時代が平安後期なのではないかという科学的裏付けと、投入堂の一部の部材からその年代の具体的な年代が判明したというのだ。

「投入堂は、平安後期にあたる西暦1100年頃に建てられた可能性が高い。」

投入堂の年代を調査したチームが部材を調べたところ、投入堂建立時期の大きなヒントとなる具体的な年代をついに突きとめた。
その年代とは、ズバリ「1098年。」数字は下一桁までハッキリとわかったと言うことだ。
あくまで部材だが具体的な数字がわかったことにより投入堂建立時期の謎のハードルは一気に押し下げれられた。
そして、その年代を決定づけた投入堂の部材は、投入堂北縁板の東から3番目であるという。
つまり・・・、
投入堂縁板
ここだ。

この決して大きくない部材の年代が、まずは西暦1098年と科学的に判定された。
それだけではない。7体ある蔵王権現像の中でももっとも古いとされる像、本尊、愛染堂に関しても続々とその年代に関する発表がされていった。

■投入堂は、一体いつ建てられたのか?

そうか・・・だが、待てよ。
確かに部材は1098年であることはわかった。ただそれはあくまで「縁板」という部材が1098年と確認されただけで、それイコール建立年代とは言えない。あくまでこの部材を作るための原木が1098年に伐採されたということに過ぎない。
したがって、この部材から読み取れる仮説としてこう考えられたのだろう。
この縁板という部材の特性(つまり、縁板部分は通常考えてかなり後に取り付けられた可能性が高いパーツである。)から、これを組み付けた際には投入堂の完成度は50%以上はあったと考えられる。この部材の原木伐採後すぐ加工されたと考えても数年。そうすると、縁板を取り付けて完成までを考えても数年。少なくとも投入堂は西暦1100年頃・平安時代の後期に完成をした建物ということになる。

完成をした建物。・・・か。

おそらく、投入堂に少しでも興味がある人であれば、この年代特定を直ぐに一考したはずである。
加えて、この完成という言葉の微妙な言い回しにすぐピンと来たと思います。これについてはこの後じっくり話をするとして。
実は投入堂の北側の縁板は投入堂に詳しい人なら直ぐに「いわく付き」のパーツだと言うことがわかる。同じ縁板でも西側の縁板や身舎柱ならともかく、この北側縁板の1098年というのは非常に意味が深い。

この記者会見場の発表は大きな波紋を呼んだ。
それもその筈。この部材が年代が1098年と判定されたということは、少なくとも大山寺縁起にある「投入堂以下を焼き払った。(1168年)」という記述が大きく覆されるかもしれない言うことになるからだ。
850年にわたって信じられていた記述が俄に怪しくなっていった。
ただ、この発表にも穴がないわけではない。
繰り返すようだが、確認された縁板の推定される伐採時期と実際の投入堂建立時期の微妙なズレはどう見る?例えば、この縁板の部材が仮に「寝かされた木材だとしたら。」
こうなると一概に大山寺縁起の信憑性を疑うこともできない。1168年以降に何らかの理由で1098年伐採の木材を使用する可能性もゼロではない。

話を戻すが、
・・・しかし、考えると不思議ではないか?この部材から読み取られた投入堂建立に関する諸々は一端置いておくとして、身舎柱など、その太さからおそらくは木材を殆ど加工せずに使用したと考えられる限りなく原木に近い状態ならいざしらず、縁板のような小さな部材がなぜ1098年に伐採された木材から加工されたモノであるとわかったのか?あの部材は長さこそ170㎝強あるが、幅は約30㎝しかない。計測するには非常に小さいパーツに感じるが・・。

一体どうやってわかったのか。
それも、1098年と特定できたのは、写真にもある北側縁板部の東から3番目の部材に限られる。それが、2番目でも4番目でも駄目だったのだ。

裏返せば、3番目の部材にのみ建立時代を特定できる「何か」があったのだ。

そう、そこにある「何か」を解明した事こそがこの手法の真骨頂である。
そこには約850年の永きにわたり信じられてきた記述をも覆そうとしている現代の科学と関係者の努力がある。
我々一般的には馴染みが薄かったこの手法は、謎多き投入堂に科学のメスを入れ、ついに投入堂の謎の一角を証明した。
そして、その手法の根本にあるのは、

「木は黙して語る。」

我々は、その手法の名を

年輪年代研究法 ポスター

 「年輪年代研究法」と呼ぶ。
 ねんりんねんだいけんきゅうほう


さて、次回の Kazz zzaK (+あい。) は、この年輪年代研究法(年輪年代法)を全編図解入りで可能な限り詳しく掘り下げていきます。覚えておいて損はないです。(笑)また、この特別編では投入堂が年輪年代法によってどのように平安後期の建築と証明されたか。それについても誰にでもわかりやすく解説していくつもりです。


日本一危険な国宝シリーズ特別編、まだまだ長い。この続きは特別編2に続きます。暫しお待ち下さい。



ⓚAll Rights. Photo by Kazz with GXR A12 50mm 28mm
ⓚAll Rights Reserved. CG Kazz zzaK (+あい。)

投入堂・日本一危険な国宝スペシャル

09 13, 2011
投入堂 スペシャル予告2

さて、いよいよ次回エントリーから始まります。

新事実は残念ながら無いのですが、投入堂をはじめ、古建築、古美術などの年代鑑定において注目を集めている

「年輪年代研究法(年輪年代法)」

を Kazz zzaK (+あい。) 流に掘り下げてみます。
可能な限りわかりやすく解説した(と思ってます。・笑)年輪年代研究法と、

「なぜ投入堂が平安時代の後期・西暦1100年頃の建築物だと判明したか?」

に対する答えを、これまたわかりやすく掘り下げていきます。

とかく○○法というと難しくわかりにくいと言った印象ですが、これを見れば大丈夫・・か?(?・笑)
御用とお急ぎでない方は是非見に来て下さい。


エントリーまでもう少しお待ち下さい。



投入堂 500円 記念硬貨

09 11, 2011
地方自治法施行60周年記念5百円バイカラー・クラッド貨幣セット
Kazzクリエイティブな世界
投入堂 硬貨1
何やら造幣局から郵便物が届いた。
すっかり忘れていたが、「あれ」の第一弾が届いたようだ。

「あれ」とは、「これ」
投入堂 硬貨2
地方自治法施行60周年記念バイカラー・クラッド貨幣セット(B)

実はこれ、投入堂に図柄が決定してからずいぶんと経過しているのだが、投入堂マニアとしてはこういったモノに興味はなくても柄がそれというだけでついつい手を出してしまったのだ。
おそらく殆どの方がそうだと思うが、こうしてセットされた硬貨を使用する人はまずいないだろう。(笑)
500円の価値がありながらそれを使用できない。記念硬貨を趣味にしている人は何となくもどかしいというか・・何というか。けど、最終的には「お金」ですから。
投入堂 硬貨3
いわゆる造幣局発行の「Bセット」というやつだ。
投入堂のコインだけのAセットと、切手無しのケースだけ付属したCセットと、全部で3種類ある。
因みにBセットは2000円だ。500円の硬貨と合計400円分の切手。単純に考えたら900円だが、まぁ良しとしよう。ケース表に丸い穴が空いており、そこから掘られた投入堂の硬貨が顔を出すという仕組みになっている。
このBセットとCセットは既に完売となっているが、Aセットには(9/10現在)余裕があるようだ。欲しい方は造幣局のページを見てみて欲しい。
投入堂 硬貨4
投入堂 硬貨5
何となく想像していたよりも彫りが浅いか?
投入堂の複雑な造形をちゃんと掘ってある・・・ようだが、よく見えない。(笑)
目をこらしてよく見ると確かに垂木の一本一本まで掘られている。こうした技術に関しては日本は世界一なのではないかといつも思っているのだが、この硬貨にもその匠の技が見て取れる。
素晴らしい。何セット販売したのかわからないが、限定にするには惜しい。みんなにも見て貰いたい。
ケース内の左側には投入堂の写真が使われており、ケース裏にも投入堂の写真が小さく連続してデザインされている。テレホンカードのように硬貨が密封された表の写真は大山(だいせん)の写真が使用されている。裏は硬貨のデータだ。
投入堂 硬貨7
切手側の方は・・おおっ、こちらも素晴らしいではないか。見た目やや硬貨よりも上からのアングルですな。
投入堂 硬貨8
切手シートの裏に何か入っていると思ったら、鳥取県の紹介シートが付属していた。こういうのはマニアには嬉しいのではないか。
昨年ゲゲゲの女房で有名になった鳥取県だが、投入堂ですらそれほど知名度が高いとは言えないので、この波に乗ってここは大いにPRしたいところだ。
思うに、これは別に投入堂の鳥取県だけじゃなくすべて集めたくなるな。
投入堂 硬貨9
ところで、造幣局さん。
カドが思いっきり折れてます。(笑)
まぁ、マニアじゃないから良いんだけどさっ。何となく残念。



ⓚAll Rights Reserved. Photo by Kazz with GXR A12 50mm 28mm

プロフィール

Author:Kazz
Welcome to my blog

Kazz zzak(+あい。)へようこそ。
Kazz zzaK(+愛・逢・遇・合・・・ etc)
あい。は、人それぞれ。

英語で i は自分ということ。

Kazz zzak(+i)

色々な「あい。」と自分をプラスして
Kazz zzak+i=「Kazz zzaKi」

「カズ雑記」

身の回りの好きなこと。好きなモノ。
関心のある事。
写真と共に何でも書いていきます。

気に入ったらまた遊びに来てください。

尚、このブログ内全ての文章・写真には著作権があります。販売も行っておりますので
無断で使用・転載する行為を固く禁じます。

コメントは基本的に悪質で無いものは承認する方向です。
ただ、メールで個別に対応することは時間的にも余程のことが無い限りできませんので
コメント通してすることになります。宜しくお願いします。

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター