投入堂 最古の実測図発見!その実測図に描かれた新たな『謎。』

01 27, 2013
さて、
投入堂完全解剖編の状況と最近のニュースじみたことをエントリーしたばかりだが、1月25日に興味深いニュースが飛び込んできたので、当ブログとしてもこれをエントリーしないわけにはいかない。
それは、『投入堂最古の実測図が見つかった』という自分にとっては驚愕とも言えるニュースだ。
話によると・・この実測図は明治後期の特別保護建造物(旧国宝)指定前に作製されたもので、「大正の大修理」前の投入堂が現在の外観と一部違うのが見て取れる貴重な資料。であるということだ。

「なにっ、現在の投入堂の外観と一部違う・・・だと!?」

保管されていた場所は東京芸術大学美術館で、その前身である東京美術大学で教えていた大学助教授の方が、投入堂に1903年及び1936年に現地調査に行った際作成した図面を正確に写し取ったものの一部であると考えられる。
・・と、ザックリで申し訳ないが、このような経緯であるようだ。

至極当然のことであるが、投入堂に限らず木造の文化財が何百年も建立当時のままノーメンテナンスで残存するはずが無い。
劣化・損傷具合により定期的に人の手を加える必要がある。それは投入堂とて勿論例外では無い。
こうした劣化・損傷の為修理が行われる際、現在の考え方では「元のままにする。」というのが大前提であり、理想でもある。
しかし、全てにおいてそういうわけにはいかず、何らかの理由によりその考え方が崩される場合がある。
そこで問題になるのが、オリジナルに手を加え改変することに対する必然性、その有無である。これは、簡単に言うとオリジナルを変えてしまうか、そのままか。ということになる。
投入堂も有名な修理では大正4年(1915年※修理報告書では大正5年表記)所謂「投入堂・大正の大修理」といわれる大規模な修理が行われた。
この際、結構な部材が交換・修理されたという。ただ、どこかの部材について改変した(された)という話は聞いたことが無かった。あくまでも現状維持のまま今日に至ったというのが、この大正の大修理であった。
ところが、今回見つかった実測図では現在の投入堂と異なる部分が結構見つかったようだ。
それらについて、なぜそうなったのか、なぜそうしなければならなかったのか、という理由はおそらくわからないままなのだが、そこに必然性があったのか、無かったのかは大きな疑問として未来に残っていく。

現在「国宝」と名の付く建築物を修理の際正当な理由無く改変させてしまったら大問題になる。なぜなら、そこには文化財を保護するという高い意識が有り、それらを守ることの出来る二次・三次的な環境が整っているからだ。そこにある基本的精神は、「プラスマイナス・ゼロ」つまり、何も足さないし、何も引かない。という強い信念でもある。
だが、こうした意識・環境的な整備が過去、その時々に完璧に残っていたかと聞かれると、決してそうとは言い切れないと思う。
まぁ、詳しい事情はどうあれ、こうした貴重な資料が事実を如実に物語っている。
結論として、大正の大修理で投入堂は、何らかの理由により大きく改変した。もしくは、させられた。と言う事実がこれにより我々の目に晒された。ということだろう。
ただ、もうひとつ、少ないがこういう可能性もある。
こうなると、近世投入堂ですらどういったものだったのか、もはやわからない。今回最古の実測図が見つかった時期がオリジナルを何らかの理由で大きく改変したものだとすれば、それを気に入らない高い文化財保護意識をもった大正の先人たちが、大正の大修理の際に「元に戻した」とも考えられる。
いずれにしても、これらの真相は藪の中だ。

『投入堂に設計図はあったか!?』
という話はいずれしたいと思っていたのだが、古い建築の実測図がポンと出てくることは結構あるらしい。例えば、投入堂でいえば、近年になって前述の大正の大修理の際の設計図が個人のお宅で見つかった。
今回の発見は個人的にももの凄い興味があるところなのだが、残念ながらこうしたものを見ることが出来る機会は一般には殆ど無い。
実測図比較-2
【今回見つかった大正の大修理以前の投入堂実測図(左)と、完全解剖編で使用している修理報告書の実測図(右)】
一応当ブログでは投入堂を自分なりにまじめに研究しているつもりだ。
だからといって許されるわけでは無いが、他のサイトから画像を勝手に持ってくるという行為に罪悪感を抱えながら画像を少しお借りして現在の投入堂との比較をこの画像(のみ)から読み取れる範囲で多少検証してみよう。(問題がある場合は即刻削除します。)

日頃の投入堂完全解剖編の経緯から、投入堂の実測図と長い間にらめっこしている(笑)自分としては、まずこの画像が発表されたときにビックリした。これが仮にアスペクト比を変更していない投入堂の実測図であれば「細すぎる。」と思ったからだ。実際現在完全解剖編で使用している図面と縮尺を照らし合わせても、まるで合わない。
この件についてはオリジナル同士ではないので何とも言えないのだが、第一印象としてはそんな感じがした。
詳しく見てみよう。
screenshot_507.jpg
【投入堂縁板と柱を接続する梁材(赤)】
既にネットなどのプレスリリースで現在の投入堂との相違点として発表された以外(投入堂の屋根に鳥衾が以前はあったようだが現在は外されている。・・など)では、西側の縁下の南北の梁材の延長だろう。以前は約半分だったようで、これは一目瞭然だ。そして身屋の扠首の角度が異常に狭い。身屋の南側の柱の一部が描かれていない。遮蔽施設が側面図で描かれていないが、これについては単純に描いていないのか、この時に無かったのか、よくわからない。
screenshot_508.jpg
【現在の投入堂の斜材の組み付け方】
また、プレスリリースでは斜材の角度と工法に相違点が見られるとの記述があったが、図面上の斜材の南側の取り付け位置には然程変化は無いようだ。北側は大幅に違う。
投入堂の斜材は「貫(ぬき)」ではなく、単純に主要柱と噛込ませているだけだ。この工法がどう違うのだろうか?

あと、印象的には完成された屋根・庇の葺き角度・大きさ(厚さ)が大幅に違う。それに伴うせいか、軒の反りが圧倒的に弱いように感じる。
screenshot_505.jpg
【平成投入堂実測図と完全解剖編 製作中モデル側面】
実測という技術において、当時と現在の差はどのぐらいあるのだろうか。
こと精度という点に関しては、機械なども進歩した現在、当時の技術とはそれなりの差があるはずだ。
見つかった実測図の年代を考えると、今回自分が相違点として感じたことは、そうした実測精度の差から生まれるものでこそあれ、投入堂本体の本当の違いかどうかは今になってはわからない。もしかしたら軒の反りなんかも昔は弱かったのかもしれない。それが修理の際変えられた可能性もゼロでは無い。
今回新たに見つかった古い実測図には多くの謎が含まれている。ただし、今後そうした謎に対しパーフェクトに回答することは残念ながらかなり難しい。

謎多き投入堂に、また新たな謎が生まれた。
こうした謎のベールをまた一枚纏い、この建物は一体どこまで魅力的になるのだろうか。

戦城。(せんじょう) 秀吉 VS 家康!小牧長久手の戦い。国宝 犬山城。

01 25, 2013
犬山城とびら
建物記ファイル№0039
犬山城 Inuyama jyo
Kazz日本全国現存12天守の旅 

さて、
久し振りの現存天守12の旅なんですけど、今宵は愛知県の犬山城。国宝四城の内の一城について少しお話をさせていただきます。

言わずもがな、「城」の人気というのは建築の中でも凄いものがあります。こうしたブログを書くようになってからでしょうか、チャンネルの多様化などもあり、BS放送などでも各局「城」を結構取り上げており、目にすることが多くなりました。
しかも城全般ではなく個別にスポットを当て特集されているケースが多く、こうした特集を1時間もやられると、もう商売あがったり、いや、自分のブログの出番はないと思っております。(笑)
まぁ、そういう点から見ると、今更ながら万人受けする「城」というのは、やっぱり優秀なソフトのひとつであるんですね。
screenshot_400.jpg
ところで、皆さんの中にも例え城に興味が無くとも天守に上がったことのある方が数多くいらっしゃると思います。城というのはビジュアル的にも派手ですし、とにかく、あそこに一国一城の主が住んでいるといだけで否が応でもテンションがあがります。
・・・が、ごく単純な幼き心のまま育ってくれれば無条件に「殿様が住んでいるのか、すげーっ!」で終わってしまうのですが、物心がつくようになり、『実はあの天守ってモンは、飾りに過ぎず、見た目派手だけどあそこに主は住んでいない・・』ってことを知らされ愕然とし、それでも、すんごい昔に造った天守が残ってるってことは凄い、と、落ち込むテンションを奮い立たせていました。そんな幼き記憶を片隅に、実際に城を訪れ、こうしたエントリーを行うにあたって何かを書こうとすると、気分は高揚しているのだけどやっぱり何を書いて良いのか思い当たりません。
城の多くは語り尽くされているし、詳しいサイトがいくらでもあるしなぁ。
「別にやらなくても・・。(オイオイ・。笑)」
で、結局写真で魅せられればいいかな。ぐらいにしか考えてません。まぁ、以下、これらの写真を見るとそれも叶わなかったりしますが・・。(泣)
screenshot_399.jpg
でも、城郭好きとしては話のひとつぐらい、何か無いか・・。
そうした気持ちを削ぐかのように犬山城の公式HPは非常に良く出来ています。洒落の効いたイラスト(味があって非常に好きな画です。)を多用したわかりやすい解説、秀逸な復元3DCG(制作CAD CENTER。金がかかってます。)と、かゆいところに手が届く配慮がなされており、あれを見てしまうと何となくやる気が失せます。(笑)建築CGは当ブログの真骨頂でもあったはずなのですが、こと犬山城に関しては・・・まるで出番無いですね・・。

別名「白帝城」(はくていじょう)との名を持つ複合式望楼型の城で、三層四階の地下二階の構成。入口から入ると結構こじんまりしている印象ですが、天守の高さは19mと、国宝四城の中では3番目の高さです。
この犬山城の訪城は実は二回目でして、一度目に訪れたときも非常に良い城だなぁと思っていたのですが、改めて見ても素晴らしい城です。

ところで、もし、現存天守12城の中で人気投票をしたらどうなるでしょうか?・・。まぁ、一般的に姫路城の人気は凄いものがあり、手強いでしょうが、この犬山城もいい線行くのではないでしょうか。
かなりな人気です。
犬山城のポイントといえば、現存天守の中でも最古級(実は丸岡城も我こそが現存天守最古とも言っており、どちらが最古かハッキリ分からない。定説では犬山城)を誇る天守を持つ城としても有名ですが、・・もうひとつのポイントが、現存天守の中で唯一の実戦経験を持つ城です。(これには諸説有り。)
screenshot_411.jpg
戦城 犬山城の実戦
戦(いくさ)。つまり戦場において城は最も重要なポイントでもある。
城というのが戦において戦術の要になるのは今更言うまでも無いのですが、ここ犬山城が羽柴秀吉 VS 徳川家康(連合)の唯一の直接対決となる「小牧・長久手の戦い」の前半戦の舞台になったったと言うのは有名です。でも、実際ここ犬山城がガチガチに攻め込まれてその戦の攻防最前線になったわけではないんですよね。
この「小牧長久手の戦い」は、至極簡単に言うと・・。本能寺の変にて信長亡き後、明智光秀を討った秀吉がその後継に信長の次男・信雄を差し置いて名乗りを上げたことにメチャクチャ腹を立てた信雄が家康と連合軍を形成し、秀吉と相対峙する戦いのことである。結構長い間膠着状態が続いたため秀吉VS家康の唯一の直接対決としては派手さに欠けるが、この犬山城も結構なキーポイントとして出てくるわけである。

その後、犬山城(天守)はそうした実戦経験を積みながらも生き残った幸運な城となるのですが、ピンチが無かったわけではありません。実は二度ほどそのピンチがありました。
一度目は言うまでも無く、明治4年(1871年)の廃藩置県時で、この時天守は解体を免れましたが、その他は解体されてしまいました。
二度目はそれから20年後の明治24年(1891年)この地方を襲った「濃尾大地震」(のうびじしん)です。
この時犬山城の天守は半分崩落し、破風から上がかろうじて残存した状態でした。自分も写真を見ましたが、殆ど壊れている感じです。
一応そういう意味では、壊れた材による再建の現存天守ということになる。(丸岡城もそうです。)

改めて外観を見てみよう。
前述ですが、政権が安定した時代の優雅な城と違い、ここ犬山城は築城が1537年。完全に実戦を見据えて造られた飾りでは無い戦うための城の装備というものが建築デザインをやや無視して附属されている。
代表的なのが写真の上の付櫓(つけやぐら)。
三枚目の全景写真を見てもらえば分かるのだが、どうしたって正面から見たときに、右側の、この出っ張りがデザインを壊している。(笑)
screenshot_412.jpg
いや、・・そんなことを言ってはいけない。(笑)
この出っ張りは、正面突破を図る敵陣を側面であるここから守るためのものであるのです。そう考えると可能な限り美しく附属されているではないか。個人的には犬山城はかなり好きな城に入りますが、この付櫓が最も好きな部分です。
地形から見ると完全に木曽川を背にして聳え立つ犬山城は、強固な自然防護壁を持つ戦城。
まさに、戦うための城です。

一方で・・飾り、いや、お約束の天守からの眺望です。
screenshot_398.jpg
【犬山城 天守から城下(南)】
screenshot_409.jpg
【犬山城 木曽川を臨む(北西)】
この犬山城の凄いところは、現存天守の中でも天守の縁巡りが可能なことでしょう。しかも高欄が低いので眺めは現存天守中一二を争う最高ランクに属します。かなり遠くまで見渡すことができます。
この天守からの眺めというのは個人的に重要(笑)で、ここと争うもう一方は・・。
いずれエントリーする、ここです。↓高知城。こちらも素晴らしい。
高知城1
【高知城 天守からの眺望】

さて、冒頭で「書くことが無い」みたいな話をして、かつ、当ブログの売り(自分で言ってりゃ世話無いか)である建築CGすらも本家にやられたところでこれ以上何がある・・という感じなのですが、犬山城外観のCGは公式にまかせ、ここでは城(天守)の骨組みを見てみましょう。
戦う要塞としての大前提がある城は、同じ時代にあって、それこそ御殿のような著しい豪華さや、凝った造りが要求されるものでは決して無いことは当たり前だ。むしろそんなことより重要なのは、いかに早く、強く造るかだ。
よって、建設自体に時間は掛けられないし、思いの外単純な造りになっている。ただし、そうは言いながらも攻撃・防御の際の工夫は最大限されていることは言うまでも無い。
天守内部構造についてまず覚えておかなければならないのが、犬山城のような望楼型天守(ぼうろうがた・てんしゅ)と松本城のような層塔型天守(そうとうがた・てんしゅ)の二種類があるということだ。
層塔型天守の特徴は、五重塔を思い浮かべれば良い。つまり、各階の間取りが基本的に同一(広さの違いこそあれ)であるというのが層塔型最大の特徴だ。写真下は愛媛県の宇和島城天守。まぁ、この宇和島城の場合三重の塔と言った方が正解か。屋根が四方に吹き下ろされ、見た目にも同じようなまま各階が構成されているのがわかる。
望楼型は、例えば家の屋根にその名の通り物見台である望楼を載せたイメージだ。犬山城は望楼型の典型的な例だが、中には姫路城などのように一見して層塔型ような望楼型がある。入母屋破風として完成している屋根の上に望楼が乗っていればそのまま望楼型になるのだが、後期の望楼型は上手く造っていて(笑)パッと見分からなかったりする。
DSC01986.jpg
層塔型天守の各階層の建築イメージ。土台となる部分から柱・桁・梁ともにこのような構成で縮小していき、最上階の入母屋破風へと続く。柱の間は貫により剛性を高める。漆喰の壁には石や瓦礫などを混ぜ、大砲などの弾から守った。
screenshot_501.jpg
一方で、写真下↓は犬山城内部に飾られた骨組みの模型である。見ても分かるように、間取りは層塔型ほど簡単ではないようだが、基本的に柱のサイズなどにできるだけ統一感を持たせ、建築しやすくなっている。
screenshot_496.jpg
こう見ると城は単純でありながら奥が深い。シンプルで有りながらも強固で場合によっては工夫も必要だし、籠城など様々な状況下も想定しなければならない。あらためて、居宅では無いことを知る。
screenshot_487.jpg
またまた話は変わって、ここ犬山城に限らず城を訪れる際のもうひとつの楽しみは「城下」をゆっくりと散歩することです。ただ、この日は犬山城のお祭りで城下は大変なことになっていました。(笑)
screenshot_488.jpg
現代の城下は景観条例などにより場所によっては厳しい規制を受け成り立っている。城下の雰囲気を壊さないようあらゆるところに配慮がなされています。そのなかでも犬山城の城下は充実しており、色々なお店が軒を連ねています。
screenshot_489.jpg
さりげなく有形文化財などがあったりする。
如庵1
あと、犬山城と言えば有楽苑。距離はゆっくり歩いても20分ぐらいですか。ここには国宝三席の内のひとつ「如庵」があります。
「おおっ、なぜこんなところに。」(笑)という印象なのですが、如庵が三度の移築の末ここ有楽苑に落ち着いたのは有名な話。
中には勿論入れませんが、あまり訪れる人がいないようなのでゆっくり見ることができます。有楽苑の入園料は1000円で、この貴重な国宝を管理するという意味も含め興味のある人間には安いと思うのですが、一般的にはやや高い印象があります。如庵が目当てで無い方には正直あまりおすすめしません。もし時間に余裕が有り犬山城と有楽苑両方を見る予定がある場合は有楽苑で犬山城とのセット券を購入した方が良いでしょう。というのも、この有楽苑とのセット券は犬山城側の入場券売り場で見かけなかったんだよな・・。もしかしたら売ってるのかもしれないけど・・。
有楽縁側では間違いなく売ってます。(300円お得です。)
screenshot_414.jpg
というわけで、今宵のエントリーは、国宝犬山城でした。


投入堂。 KING OF 『懸造』

01 19, 2013
screenshot_479.jpg
さて、
年末スペシャルに向けて地道に作業していた投入堂完全解剖編ですが、諸事情によりまだエントリー出来る状態に無いです・・。結局年明けスペシャルにも間に合わなかった・・。楽しみにしていてくれた皆様、すいません。(泣)
以前もお伝えした通り、投入堂が建立されている岩窟内をどうするか、身屋の屋根を葺くか、で、何かアホみたいに悩んでいます。それに伴い初期の投入堂のモデルと庇の考察やら何やらでグチャグチャになってきました。だけど自分なりにちゃんとした形でエントリーしたいので見切り発車を止め、とにかく、多少遅れながらも必ずエントリーしますので、是非、気長に、お待ち下さい。

投入堂もシーズンオフに入ってしまったので耳に入ってくるニュースがなかなか無いのですが、シーズンオフになる直前に自分が確認しているだけでもバタバタっとテレビで取り上げられました。残念ながら自分は未見なのですが、テレビ東京系列「乃木坂って、どこ?」の番組内にて、乃木坂46の新曲ヒット祈願で投入堂修験道挑戦と、日本テレビ系列で朝放送されているZIP!という番組でも投入堂が紹介されたようです。
また、WEBでの注目は、昨年のことになりますが、以前投入堂開山1300年を記念して行われた特別拝観(一般で三名)内のお一人の方(この方はブログを書いていらっしゃいます。)がNHK鳥取に再度「2007年の特別拝観のことを詳しく教えて欲しい。」ということでメールを受け取ったと書かれていた。単純に考えると何らかの番組制作のためかと勘ぐってしまう。(笑)
それにしても特別拝観は2007年。もう6年も前か・・。100年間は一般的に登れないという話なので、順当に考えるともうチャンスは無い・・か。

・・だけど、100年って・・いくらなんでもそれじゃ蔵王権現様も寂しいでしょう。(笑)


或る夜の意識。

01 15, 2013
ベルギー2扉市庁舎
グランプラス Grand-place
Kazz世界各国古(いにしえ)の旅

さて、
珍しい場所に来ました。
扉写真、一体どこだかわかりますでしょうか?(何となく雰囲気が気に入ったので色補正は無し。)
ここは、世界遺産でもあるベルギー。その首都であるブリッュセル の中心街、グランプラス。
「世界一美しい広場」とも言われている場所に来ております。
聳えるこの塔の様な建物は、市庁舎。このグランプラスのランドマークでもあり、高さは96mもあります。
今宵Kazz zzaK(+あい。)はここからエントリーをお送りします。
img015.jpg
・・・って、すいません、冗談です。(笑)

国内の古(いにしえ)建築ばかり扱っているので、たまには建築に関係しながらも、関係ない話。(なんのこっちゃ。)
ベルギー ブリュッセルにあるここグランプラスは、先に述べたように石畳が美しい世界一美しい広場のひとつとされています。特に夜のグランプラスは最高の美しさを誇るとも言われていています。1998年には世界遺産にも登録されました。
建築的に見ると、一番古いこの写真の市庁舎は、5世紀初頭から中葉、実に半世紀掛けて造られたものであると言うことです。
・・確かに市庁舎を含めこの広場は素晴らしいものがあります。

話はいきなり変わりますが・・・。
人間の潜在意識というのは実に面白いものです。
相当前になりますが、ここグランプラスが何らかの形でテレビで取り上げられていたのを見て、
「ハテ?・・・ここに行ったことがあるぞ。」と不思議な感覚に襲われたのです。
・・と、いうのも、恥ずかしながら、ここは自分が一度訪れたことも忘れるぐらい前、そしてこれら一連の写真は実は30年くらい前に自分がヨーロッパを放浪していたときに撮影したものなのです。
当時こうしたものに疎くて勉強不足だった自分は、このグランプラスが一体何であるかわからず旅の流れからここブリュッセルにたどり着いたのでした。勿論それほど思い入れがあった場所ではありません。
今でこそインターネットで検索すれば湯水のように数限りない情報が手に入る時代と違い、当時はそうした旅先での情報が殆ど無く、ましてや何ヶ月も彷徨っていた身からすると、ものを見るという集中力も麻痺してしまい結構場当たり的に目的地を決めたり、偶然その場所にたどり着いたりしていました。見るもの全てが感動の対象だった時期は過ぎ、大概の場所を見ても感動しない日が続いていました。この時もその場所の何たるかも知らずに辿り着いたのだけはよく覚えています。
img016.jpg
だけど、この夜は違っていました。
グランプラスを目の当たりにしたとき、そのあまりの綺麗さに驚いてしまい、どうしてもこれを写真に納めたいと思ったものでした。現在でこそ当たり前のデジカメなんてものはドラえもんの秘密道具(笑)としか考えられないものでしたので、少ない写真スキルで行き交う人にビビりながら持って行った小さい三脚をブレないように立て苦労して撮影した記憶が僅かに残ります。
全ての光が石畳に反射した空間は、建物自体が全体に浮かんでいるようで幻想的な本当に美しい空間でした。
最終的に、この時の長い旅で、後にも先にも夜景を撮影したのはこのグランプラスの夜だけでした。
今考えるともう少し色々なところで撮影していれば良かったと思うのですが、当時は幼く、夜=危険という潜在意識が働き、その撮影を留まらせていたのだと今にして思います。
img013.jpg
世界一美しく、同時に世界一美しい夜景を持つ広場。
当時はここが世界一美しい広場である。と言う肩書きが付いた場所であるとは分からないまま、イヤ、それどころか帰国してからもここがそれほど凄いところだとは気がつかずにいました。
ただ、何も考えてない意識が働く中で「どうしても」と、撮影した事実はこうしてフィルムに焼き付いていました。
大人になってここまで建築好きになるとは思わなかったのですが、もしかしたら潜在的な意識の片隅の片隅に、
「これは、どんなことをしても撮っておけ。」
みたいな意識が働いたのかもしれません。
この写真が残っているおかげで、自分はあのときの風景を鮮明に記憶から引き出せることができます。

結局、そこで冒頭のテレビの話に戻り、そこがあのグランプラスであることを知ったのは、帰国してかなり経った時のことでした。

多分皆さんの中にもシチュエーションは違えど似たような経験をされたことがある方が沢山いらっしゃると思います。
もしかしたら、その多くは小さなことで、他人から見ると笑っちゃうようなことなのかもしれないですが・・。
でも、そんな時ホンの少しだけ嬉しく思うのです。
「よく、撮ってたな。自分(笑)」
って。



日本一の反り確定か!? 国宝建築軒反り暫定王者。『永保寺 観音堂』(非公認)

01 08, 2013
虎渓山
建物記ファイル№0038
虎渓山 永保寺 観音堂・開山堂   Kokeizan eihouji kannondou kaizandou
Kazz日本全国古(いにしえ)の旅 

さて、
本日(これを書き始めたのが1/7なので。)から仕事始めという方も多いのではないでしょうか?
遅ればせながら、
「新年明けましておめでとうございます。」また、一年が始まります。今年もよろしくお願いいたします。
そんなわけで、当ブログも本日から始動です。

でも、年明け一発目なのでサクッと行きましょうか。
screenshot_461.jpg
昨年の話になりますが、秋旅行では結構未見の国宝建築を見ることができました。その中でもかなり見たかったのがここ岐阜県多治見市の 虎渓山 永保寺 観音堂・開山堂です。
実は昨年夏頃?まで屋根の葺き替えを行っており、長らく拝観は出来なかったのですが、昨年10月頃にはその葺き替えも終了しており、念願叶って見に行くことが出来ました。
まぁ、何が見たかったというと、扉の写真を見ていただければ一目瞭然なのですが・・。
以前高知県の国宝・豊楽寺を見て、その軒反りを「狂気の反り」と称しましたが、この永保寺観音堂は軽くそれを上回る感じです。向こうが「狂気」なら、こちらは「凶器」にもなりそうな・・(笑)そんな軒反りです。(上写真は観音堂横から)
screenshot_463.jpg
観音堂自体を見る前に、まず永保寺と言えば整備された夢想國師による池泉回遊式庭園です。
前回のエントリーでも少し触れた白水阿弥陀堂の浄土庭園は遺跡発掘によりその姿を復元されたものであるが、この永保寺の庭園は夢想國師によるオリジナル。
screenshot_468.jpg
池の中央から観音堂に誘導するように掛けられたこの雰囲気のある橋は無際橋。こうした形の橋は珍しいのではないでしょうか。勿論渡ることができます。
screenshot_471.jpg
そうして目の前に現れるのが永保寺観音堂です。見てください、この堂々たる佇まい。
わざわざ東京から見に来たかいがありました。素晴らしいです。
この観音堂は夢想國師による1314年建立です。禅宗様建築としてはかなり古いです。
screenshot_475.jpg
裏手に回ることもできます。
この角度だと屋根や裳階の状態が非常によくわかります。ここまで接近できる国宝の禅宗様建築はここ以外無いのでは無いでしょうか?

さて、問題の観音堂ですが、正面から見るとこの軒反りです。凄過ぎます。(笑)
screenshot_465.jpg
折角なので比較してみましょう。
こちらが国宝・永保寺観音堂
screenshot_466.jpg
こちらは同じ禅宗様建築の国宝・正福寺地蔵堂(東京)
screenshot_467.jpg
こちらも同様国宝・清白寺(山梨県)

写真の角度がイコールではないのですが、それでもハッキリと分かるこの違い。軒反りに関してはやはり凄い角度です。
こう言うと、何だか変かもしれませんが、この軒の角度については、もう絶対に棟梁の美学があって、どこよりも反らせる。って意識がもの凄くあったのではないかと思います。「絶対にあそこよりも反らせてやる!」的な。
まぁ、そこに「美しさ」があるかといえばちょっと別の問題になるはずで、確かに永保寺観音堂の反りは半端じゃないが、こうしてみるとやはり建物のバランスとしては清白寺が一番なような気がします。(笑)

ところで、こうした禅宗様建築は唐様建築とも呼ばれ結構各地で見られます。禅宗様建築は鎌倉時代に確立され、それが全国に広がりました。禅宗様建築をごく簡単に説明しますと・・。

ハイ、これ覚えて。
日本の寺院建築様式は「和様」「大仏様」そして、「禅宗様(唐様)」と、代表的には三様式に分けられます。この三様式を覚えておけば大体大丈夫です。(笑)
あっ、「神社」は別ですよ。念のため。
法隆寺なんかはその和様なんかよりずっと前に遡るのですが、和様の代表的なものとしては、ここ↓
screenshot_472.jpg
そう、奈良・唐招提寺金堂です。
和様とは本当に簡単に言えば、中国より伝わった様式を日本風に改良したもの。
で、「何処がどう違う?」・と・・・説明しても良いのですが・・。それをやっちゃうと、さらに長くなってしまうので、興味がある方は専門書などで詳しく調べると非常に面白いです。(すいません。)
この唐招提寺金堂は、歴史的にも法隆寺寺院群のすぐ後で、日本の和様建築の最初であるとも言われる建築。とてつもなく貴重な遺構です。
DSC02620.jpg
そして、大仏様の代表的な建築の東大寺南大門。
大仏殿再建のための手法とされる大仏様建築は数が少なく、有名どころでは、浄土寺浄土堂、東福寺山門などです。また、燻し銀なところでは、めちゃめちゃ良かった、今回行った、ここ↓
screenshot_473.jpg
国宝 長保寺・大門(和歌山県)なんて場所もあります。

そうした流れの後、禅宗様建築は鎌倉時代に禅宗の伝来と共に中国から伝わりました。北条政権より拡散し、全国で流行った建築様式です。
自分もまだ未見の禅宗様建築があるので、国宝建築だけでも早々に見てみたいものです。

そして、そうした禅宗様建築の中でもこの永保寺観音堂は面白いです。
screenshot_469.jpg
禅宗様建築で最も有名な鎌倉の円覚寺舎利殿なんかに見られるように、こうした建築の軒の四隅って普通扇垂木、少なくても平行垂木で組まれているのですが、ご覧になって分かるように、永保寺観音堂は垂木が無いっ!
凄いスッキリしてます。国宝の禅宗様建築では唯一なのではないでしょうか。安国寺も確か本数は少ないけど垂木はあります。
軒反りといい、この垂木無しといい、やっぱり拘りが感じられます。
こうした部分にも目を配ると、同じ禅宗様建築でも面白さが感じられます。
screenshot_470.jpg
こちらは清白寺の垂木部分。(平行垂木)
禅宗様建築の特徴として、線が細いというのが挙げられるのですが、確かに大仏様などとは比較にならないぐらい繊細なものですが、そうした線が細く華奢な建築と言うことを念頭に置き、例えば永保寺観音堂と清白寺を比較してみても、永保寺観音堂に力強さを感じてしまうのは、その軒反りの角度によるものなのか。

というわけで、簡単にエントリーを行うつもりが、またこんな感じになってしまいました。
能書きの多いブログですが、今年も一年よろしくお願いいたします。
screenshot_474.jpg
最後に永保寺・開山堂をのせておきます。こちらも素晴らしい軒反りなのですが、四方に柵が巡らされており、かつ、その柵が通行禁止になっているため後ろに回ることができません。それが少し残念です。
なお、永保寺は駐車場及び拝観料が無料です。これだけ素晴らしい建築を見せていただきながらタダでは心苦しいので気持ちだけ置かせていただきました。
建築に興味が無い方でも多分これらの素晴らしさは伝わると思いますので、是非日本一(非公認)の軒反りをご覧に足を運んでみて下さい。


プロフィール

Author:Kazz
Welcome to my blog

Kazz zzak(+あい。)へようこそ。
Kazz zzaK(+愛・逢・遇・合・・・ etc)
あい。は、人それぞれ。

英語で i は自分ということ。

Kazz zzak(+i)

色々な「あい。」と自分をプラスして
Kazz zzak+i=「Kazz zzaKi」

「カズ雑記」

身の回りの好きなこと。好きなモノ。
関心のある事。
写真と共に何でも書いていきます。

気に入ったらまた遊びに来てください。

尚、このブログ内全ての文章・写真には著作権があります。販売も行っておりますので
無断で使用・転載する行為を固く禁じます。

コメントは基本的に悪質で無いものは承認する方向です。
ただ、メールで個別に対応することは時間的にも余程のことが無い限りできませんので
コメント通してすることになります。宜しくお願いします。

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター