晩秋は紅葉ではなく国宝茶碗?

11 30, 2013
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さて、
平等院鳳凰堂のレポートが終了したと思ったんですが、大事なレポートを忘れておりました。
少し前に予告した、「あれ」なんですが・・現在全速力でCG製作・出筆中です。(笑)もう少しかかるかもしれませんけど多分次回エントリーですのでお楽しみに。
そんなわけで、間に挟ませてもらうのですが、芸術の秋(もう冬?)・・ということで、各地で茶道関係の展示が盛況だそうです。当ブログも負けじと乗っかり。
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【国宝 曜変天目茶碗(稲葉天目)試作CG 】
※残念ですが、この曜変天目茶碗、今のところ展示予定は無いようです。妖しい光はまさに『曜変天目』ならぬ、『妖変天目』(笑)
本物はもう少し口径が狭いです。静嘉堂文庫で次回公開したら、当ブログでも正式にエントリーしたいです。

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中でも、結構『国宝茶碗』が展示されております。
関東近郊では最近まで国宝茶碗8碗の内、3碗を展示していました。(このエントリー時・2013.11.30日現在は2碗)

●長野県諏訪市サンリツ服部美術館 特別展示 本阿弥光悦  国宝白楽茶碗 銘『不二山(ふじさん)』(2013.12月20日まで)
●東京都港区南青山 根津美術館 国宝大井戸茶碗 銘『喜左衛門(きざえもん)』(2013.12月15日まで)
●東京都中央区日本橋 三井記念美術館 国宝志野茶碗 銘『卯花墻 (うのはながき)』
(残念ながら終了)

まさに、『国宝茶碗の秋。』
秋旅行で茶室とかに触れるとこういうものが見たくなるんですよね。
自分もこの中では『喜左衛門』を見たことがありません。まだ時間があるので井戸茶碗の最高傑作とも言われる喜左衛門を是非見に行きたいです。
皆さんもこの機会に是非足を運んでみて下さい。感性が鋭くなりますよ。

CG制作とブログのダブルエントリーはやはり時間が掛かる・・・。ブログのペースが上がらない。(泣)

The flight of Phoenix3.

11 25, 2013
鳳凰堂保存修理6-1
建物記ファイル№0021
平等院鳳凰堂 Phoenix Hall of Byoudoin Temple

さて、
長らく続いた平等院関係のエントリーもいよいよ今回が最後になります。結局、見学会が行われてから20日以上経過しての完結で旬は過ぎちゃったのですが、まぁ、しょうがないな・・・。
今回は写真が多いのでテキストは少なめです。
ちなみに以前のエントリーはこちらです。
『体感 〜伝統の技と心〜京都保存修理の現場から2013』前編
『体感 〜伝統の技と心〜京都保存修理の現場から2013』中編

今回の修理見学会で主に解説の対象となったのは、鳳凰堂の外観的変遷や瓦、塗装についてでした。特に瓦と塗装については詳しく解説して頂きました。
前編で少し話をしたのですが、今回鳳凰堂覆屋に入って驚いたのは、塗装に関しては殆ど終了していたことです。
仕上がりも思ったほどケバケバしくなく鳳凰堂に相応しい雰囲気です。
また、瓦の葺き替えについても目に見える殆どの部分が終わっている印象でした。僅かに中堂の主屋根と裳階部分に空きがありましたが、これでも午前中はほとんど葺いていなかったと言うから驚きです。まさに一日でここまでというレベルで、スパートがかかってる印象を合わせて持ちました。
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【芸術的に組まれたトラス】

覆屋に入り最初に目に入ったのは綺麗に丸太が組まれた足場。およそ5000千本で組まれているようです。
なぜ丸太で足場を組むのかというのには理由があり、

●基本的に建立当初の工法で修理をする。
●このような丸太で足場を造る技術を次の世代に伝えるため。
●丸太は軽く柔らかいので落下した際に建物に与えるダメージが低い。
●自由度が高いため、長さ・高さ調節しやすく鳳凰堂のような複雑な形状にもフレキシブルに対応できる。など・・。


このような理由から、敢えて工事現場などで見る鉄製の足場を使わないということでした。
それにしても、こうした状態を当たり前のような景色として認識し、深く考えたことが無かったので、見るにしても聞くにしても面白く勉強になる話ばかりでした。
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この状態は見学会の最後の回。午前中は殆ど葺かれていなくもっと空きがあったのに「あっ」という間にここまで葺かれたらしいです。職人さん流石です。
鳳凰堂瓦1
瓦は釘と銅線で固定。
こういうので50年も保つのかというぐらいシンプルすぎるぐらいの構造だが、逆にシンプルだからこそ保つのでしょうね。
鳳凰堂屋根1
【中堂屋根の入母屋北側。この棒のような場所に鳳凰が固定される。】
中堂入母屋部分。鳳凰が無い状態だとこういう風になってるんですね。このカットは今後貴重になるかもしれません。(笑)
やっぱりここに鳳凰が乗るか乗らないかで大きく違う・・。
ちなみに初代の鳳凰は痛みが激しいのですでに鳳翔館に展示保存されているのはご存じだと思いますが、今回の修理では、鳳凰も平安時代に建てられたときのように金押しされるということだ。
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こちらはズラリと並べられた鳳凰堂歴代の瓦。こうしてみると結構な種類があるようです。
上段左から古い順。下段の一番左が今回採用のデザインの瓦。鬼瓦なども改めて造られるということです。
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さらに上段の古い瓦を拡大するとこんな感じ。
。実は以前の瓦(左端参照)は奈良の興福寺再建の際、鳳凰堂にも供給された瓦であるということが判明しており、いわばおさがり的なものとして時代時代でデザインが強襲され、微妙にマイナーチェンジし、今日に至ったものである。
今回の瓦については調査・資料などで判明した創建から初めて総瓦葺きにされた(と、される)1100年頃の瓦のデザインに戻したということだ。これは、大阪八尾市の丘陵に所在する向山瓦窯跡で平等院のために生産された特注品ということまでわかっている。
河内系の瓦は、向山瓦窯跡の西側平野部は平等院領玉櫛荘の比定地となっており、この瓦窯で焼かれた瓦は調査などから平等院を中心とする宇治近郊で出土しているということです。その特徴としては、この時代に見られる布目瓦特有の縄叩きが細かいということだそうです。また、生産された瓦自体が粗雑になる傾向にある平安時代において非常に丁寧に造られており、サイズが少し短く、篦で布目を消すなどのいかにも見た目に手間が掛かる更なる特徴があり、管理用の刻印などが見られる鳳凰堂仕様の特別な瓦だったといえるそうです。
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そして、こちらは新しくなった蓮を前面にあしらった新生・鳳凰堂の軒丸瓦。

話は変わるが、鳳凰堂が実は『木瓦葺き』(こがわらぶき=瓦を板で造る)であったのではないか、ということはかなり信憑性が高い事実として知られている。木瓦葺きといえば自分が真っ先に思い浮かべるのが中尊寺金色堂だ。
瓦を木で造る。いや、逆か。・・・元々木で造られていたんだ。
金色堂を最初に見たときは、お堂が金色ということにも感動したが、どのような状態であれ、最も痛むであろうこ木瓦が残っているということに感動していた。
今日の修理において鳳凰堂の木瓦葺き化には現実性がないが、これからの未来、もしかしたら次の葺き替えサイクル時期までに何らかの調査が進み、それが確定的になり、より建立当初に近い鳳凰堂を目指し『木瓦葺きの鳳凰堂』なんていうのが出来る可能性も決してゼロではない。
残念ながらその時に自分は多分居ないだろうが、一度見てみたいものである。
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こちらは北側の尾廊。見て解るように塗装も終了し、丸瓦も葺き替えられ準備は完了。
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鬼瓦もここまで接近して見られることはもう無いだろうな。
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綺麗に葺かれた中堂北側の軒先。中堂の裳階部分は未だ瓦は葺かれていない状態であった。

鳳凰堂の塗装
一方、全体的な塗装の方はほぼ終了していると言うことであった。
解説でもありましたが、この鳳凰堂の塗装については賛否両論有り、新しくテカテカにすることにはかなり反発があったようです。自分も以前は「鳳凰堂は枯れたこの感じが良いんだ。」なんて書いていますが、実際目の当たりにすると「もともとはこういう色だったんだな。」と考えを改めたりします。
昭和修理の際塗装は鉛丹(えんたん・四酸化三鉛主成分の赤色顔料)で行われたらしいのですが、今回は調査などの資料を基に平安から使われている丹土(につち・酸化鉄系赤色原料)で全塗装を行うということです。
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塗装済みの組物。赤の丹土と白の漆喰のコントラストが鮮やか。
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終了した部分の塗装はすでにビニールで養生されており、ハッキリと確認することはできなかった。
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塗装に関して、以前の修理では柱の下部にしたがって塗装をぼかす処理がなされたというが、今回はキッチリ塗られるそうです。

ところで、文化財の修理の際にも塗装については、新しくするのか、そのままにするのか、時間を掛けて議論されるそうです。やはり全体的な印象を左右するので慎重にならざるを得ません。他の文化財でも新しく施した塗装が、「わび・さびがない。」だの「他の建物との調和がとれない。」だの「新しすぎる」だのと批判の対象に晒されます。
そうした声を反映してか、塗装については控えめな処理をする場所もあるようです。
鳳凰堂板壁
【中堂背面支輪裏板】

個人的意見を述べれば、確かにこの問題はデリケートでどっちに転んでも何かしら言われるであろう。
永遠の建築は無く、文化財建築の修理はその建築を維持すると同時に歴史を壊していることと同種である。
鳳凰堂に限らず何百、一千年以上生きてきた建築の部材を必要以上に交換することはその歴史を無くしてしまうことにもなりかねない。一時代の鳳凰堂を預かる世代としてこの建物を後世に残す責任は重大だ。
熟考を重ねた末の答えとしての鳳凰堂であれば、信じ受け入れるしかないだろう。
また、職人の育成も必要だ。
文化財建築の歴史は同時に修理の歴史である。耐久性があることは悪いことでは無いが職人の技術を低下させる。
禅問答のようだが、相対するこの問題をクリアしなければならないということも忘れてはならない。

最初は修理前のそれこそ枯れた感じの鳳凰堂が好きだった。ただ、これにしても50年も経てば修理前のようになってしまうんだと考えれば建立当時に限りなく近い姿を見ることが出来る機会は貴重だなと単純に思っています。
鳳凰堂ラストカット1
見学会を終えて。
今回の見学会は公開を約4ヶ月後に控えているということもあり、見た目は予想以上にできあがっている印象であった。
正直言うと、自分の生まれた前から50年という長い時間風雪に耐えてきたご苦労様的な状態を見たかったというのが本音で、やはり1回目の見学会に行ければどれだけよかっただろうと思っています。それでも、鳳凰堂をこれだけ間近で見ることができたので感動があったことは間違いありません。
ただ、こうしたものは国民の宝でもあり、中には修理中だと知らずに見学に来る方もいらっしゃるようでした。
京都でも指折りの観光スポットである平等院鳳凰堂ですから、小さくても良いので特設テントなどに修理状況などの詳しい解説や展示などがあれば尚良かったと思います。
さて、
おそらく完成してから早々に訪れることと思うが、これから先何事も無く何百年もその美しい姿を魅せ続けて欲しい。
新生・鳳凰堂は2014年4月公開予定。

飛翔は、間近だ。

The flight of Phoenix2.

11 16, 2013
保存修理の現場から2-1
建物記ファイル№0021
平等院鳳凰堂 Phoenix Hall of Byoudoin Temple

さて、
今回も『体感 〜伝統の技と心〜京都保存修理の現場から2013』の平等院修理見学会レポート(中編)をお送りします。まぁ、続きものなので、たいしたことない前編をご覧になりたい方はこちらからご覧下さい。
『体感 〜伝統の技と心〜京都保存修理の現場から2013』前編
こうしたものを書いてるとついつい専門的になってしまうのですが、あまり堅苦しくない読み物ですのでサクッと読めます。(笑)
今回の鳳凰堂の修理は主に以下のことが主体となり進められているようです。

●解体は行わず小規模な修理を行う。
●要項は屋根瓦の葺き替えと発掘調査などに基づいて軒丸・軒平瓦デザインの変更(中堂・翼廊・尾廊)
●退色した塗装については、残存した当初の塗装から化学分析し、平安建立当初に近づけた彩色を行う。(塗装)

まず、すでに昭和の大修理から50年以上経過した鳳凰堂。自分も修理直前に見に行ったのですが各所に痛みが目立ちました。特に瓦はボロボロだった印象があります。何か屋根裏にアライグマが棲み着いたという笑えない話もあったし、来るとこまで来ていたような印象でした。
同時に柱などの退色もかなり進行していたようでした。ただ、瓦などがボロボロ・・というのと違い、彩色は全体的な印象に直結するためデリケートな問題として扱い方にも意見が分かれます。

まずは、平等院の外観的な変遷から解説がありましたのでそれをトレースしていきましょう。
kenngaku
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【左・阿弥陀如来座像がある背面の板に描かれていた画】【右・狩野永徳によって描かれた鳳凰堂らしき建築物】

鳳凰堂の外観上変遷と修理の歴史
えぇ〜、ちょっと見にくいのですが、こんなパネルを使って解説が始まります。
平等院鳳凰堂はこれだけ有名な建築であるにも拘わらず古い資料というのが殆ど存在していません。よって、建立当初の鳳凰堂がどのような形状をしていたかというのは、実はよくわかっておりません。僅かに古い画などの資料からそのビジュアルを読み取るしか無いようです。
まず、上の写真の左側に見られる建物のようなもの。(笑)これは、鳳凰堂の阿弥陀如来座像がある背面の板壁に書かれている画だそうです。この画は鳳凰堂が建立されてから描かれているのが確認されており、もしかしたら鳳凰堂を描いたものではないかといわれている画だそうです。資料的にもかなり貴重なものなのですが・・翼廊の突き出た感じとか、なんとなく鳳凰堂の匂いは感じながらも決め手に欠ける印象でしょうか。けれどかなり雰囲気はありますね。

そして、右が中世に狩野永徳によって描かれた『鳳凰堂らしき建築』の画です。
この鳳凰堂「らしき」といのがみそで、鳳凰堂とは断定できません。よく見ると鳳凰堂に非常に似ており、尾廊も確認できますが、翼廊は今と違い上部が無いようです。また、高欄も無く、こちらもかなり似ていながら決定打に欠けるようです。・・・とはいいつつも、「じゃぁ、これは何?」ということになるんだろうが、どこまで細密に描かれているかは別としても鳳凰堂の可能性は非常に高いのではないでしょうか。
こうしたように、現在我々が目にする鳳凰堂の建立当初については結構今と大幅に違う建築だった可能性があるようです。
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【左・明治の大修理前】【右・明治の大修理後】軒から下がる柱、基壇の整備に違いがみてとれる。

代表的な外観についての変遷の一部について解説がありました。
明治時代、資料的にも鳳凰堂の姿は写真という形で残るようになり、後世しっかりと確認できるようになっています。
上パネルは明治修理前(明治30年頃)の鳳凰堂と修理後の鳳凰堂の姿です。鳳凰堂の外観的変遷を語る上でこの写真は貴重な資料と言えます。
まず、ここでの外観上の最も特徴的なもののひとつが軒を支える柱の有無です。
実際現場であった写真でも小さくて確認しずらかったのですが・・。
鳳凰堂修理明治
現場で撮影したパネルを無理矢理拡大し、コントラストを上げると・・ハッキリと写っています。
丁度高欄と隅垂木を結ぶラインあたりにかなり太い柱が入れてあります。(※ 中央左にある細い「つっかえ棒」みたいなやつじゃないですよ。笑)
この柱の意図・・これは中世以前に行われた修理の際、屋根構造が上手く機能しなくて軒が下がってきたために施された処置だということです。
この対策として、鉄の筋交いらしき部材を屋根裏に入れ補強をしたそうです。下の明治修理後の拡大写真を見ると柱は綺麗に取り払われています。
鳳凰堂明治修理後3-1
この軒が下がる問題については、今一度根本的な問題に立ち返って想像してみると・・。
実は建築当初、鳳凰堂は瓦葺きではなく、もっと軽い板葺きだった可能性が指摘されています。まぁ、普通に考えれば板葺きの方が圧倒的に軽いので構造的にも多少の痛みで済んだはずですが、仮に、後に瓦葺きに葺き直されたとすると、やはり重量からくる構造的な歪みが発生するわけです。それが、何百年と経過していくに従って軒を大きく下げたのではないかと考えられるわけです。
板葺きから瓦葺きに変更という由々しき問題については、元々なぜそうなったかは定かではありません。
現在のように厳格に守られた修理保存の規定や法律が無いまま、おそらくは明治30年の古社寺保存法が交付される前、寺が抱える営繕さん達によって時代時代の最良の方法が取られ、直された結果なのだと思われます。こうした時代、オリジナル云々は特に考えられたわけではなかったのでしょうか。
ちょっと残念です。
鳳凰堂貫
【鳳凰堂翼廊の柱部分】

また、これは鳳凰堂翼廊の柱下部ですが、ここに使われている技術『貫』(ぬき)。本来は柱の中で臍(ほぞ)同士がガッチリ組み合い、間を通し楔を打つことで建物の剛性に一役買っている技術なのですが、本来この貫という技術は中世以降に生まれたもので、やはり鳳凰堂建立当初には無いものだったようです。永徳の洛中洛外図の鳳凰堂(らしき建物)にも貫は無いようです。

こうした変遷を経て昭和〜平成へと我々が目にする鳳凰堂へと繋がっていくわけです。
10en.jpg
ところで、
この変遷を語る上でちょっとしたお話がありました。
鳳凰堂を訪れる方が意外とやっているのが、10円玉と鳳凰堂を同フレームに収めるおなじみの記念撮影。鳳凰堂がデザインされているので何となくやってみたくなります。
ところが、この10円玉の鳳凰堂と現在の鳳凰堂を見比べたとき、何となく違う部分があるのがおわかりでしょうか?
10enn kidann
ヒントはこの中堂部分にあります。
鳳凰堂 檀上積み
もうおわかりですよね。
答えは中堂が建っている基壇部分です。
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【鳳凰堂基壇イメージ 左・壇上(正)積み 右・亀甲積み】

この鳳凰堂の基壇部分。昭和修理前までは亀の甲羅を組み合わせたような亀甲積み(きっこうずみ)と言われる積み方でした。この積み方は調査の結果江戸時代中頃に造られた(変えられた)ものだということがわかったそうです。その後、昭和の修理ではなるべく鳳凰堂の変遷に沿った修理方針が第一に掲げられ、発掘調査などの研究から判明した縦と横の石組みである檀上積み(だんじょうずみ)と言う積み方に改められました。この壇上積みは基壇の中でも最も格式が高い積み方であるということです。
10円玉の発行(昭和26年)と昭和の修理(27年)が生んだ僅かな時間の妙といえます。

このようなことから、我々が目にしている現在の鳳凰堂は、平安の建立当初〜江戸時代に修理された紆余曲折を経て、鎌倉〜室町時代あたりの鳳凰堂を再現した姿を目にしていると言うことになります。

本来の鳳凰堂は?
この他にもうひとつ外観上の大きな特徴と言えば、鳳凰の翼の部分と言われる翼廊です。
この翼廊、厳密には役目の無い謂わば「装飾」とも言えるものなのですが、問題はその用途では無く、柱が建っている足下。ここに注目です。
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冒頭の狩野永徳の洛中洛外図にもあるように、この翼廊の柱は阿字池からニョキっと直接的に建てられていて、イメージで言えば広島の厳島神社のような建て方であったのではないかと言われています。水面に浮かぶように建てられる鳳凰堂。いかにも浄土、阿弥陀堂に相応しい佇まいですが・・・。これについては確証が無く、再現も困難なため現状に落ち着いていると言うことです。

このように、鳳凰堂が辿った外見的変遷や、調査からわかった鳳凰堂の特徴的な話と解説をしていただきました。
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【新デザインでいよいよ登場!鳳凰堂軒平瓦】

と、いうわけで、
本来であれば短くまとめ、前・後編ぐらいのつもりだったんだけど、思いの外長くなってしまったのと、見学会のLIVE感が無いまま中編としてここまで来てしまいました。
長くしようとすればまだまだ長くなるのですが(笑)、次回エントリー(後編)で完結とします。
エントリー内容は、今回の修理のメインとも言えるべき新デザインの瓦、及び全体的な塗装についてレポートすることにします。もう少しお付き合いを。(後編につづく)

The flight of Phoenix.

11 09, 2013
鳳凰堂修理保存扉2
建物記ファイル№0021
平等院鳳凰堂 Phoenix Hall of Byoudoin Temple

さて、
今回は特別編。多分長くなるので何回か続きます。(前編・後編?)
エントリー内容については予告した通りですが、それが望まれているか、いないかは別として(笑)2013年11月1日(金)に大々的に行われた修理見学イベント
『体感 〜伝統の技と心〜京都保存修理の現場から2013』
と題し、この日京都にて何カ所かで行われている修理現場のうち、事前ハガキで当選した平等院鳳凰堂に行ってきました。
こうした京都府教育委員会主催の見学会がいつどのように行われ始めたのかはよくわからないのですが、昨年の9月から修理が行われたここ平等院鳳凰堂では、少なくとも昨年2012年と今年2013年の計2回が行われています。
予定では2014年3月に修理が終わるこの鳳凰堂の見学会には昨年も応募したのですが、結果は見事に外れ悔しい涙を飲んだので、今回の当選は感激もひとしおです。(・・・当選したのは相方の方なんだけどね。笑)

とはいえ、前もって書いておきますが、当ブログはあくまでも初心者を対象とした「何となぁ〜く国宝建築に興味がある。」方のためのブログという基本コンセプトを置いておりますので、その道のプロの方々のようにあまり深く掘り下げることはしておりませんので予めご了承下さい。(笑)
・・というか・・平等院鳳凰堂自体、研究者によって様々な角度から掘り下げられ過ぎておりますので、それをトレースするといたずらに長くなりすぎるし、時間も掛かります。使命が違うし、止めておいた方が無難なようで、殊の外あっさりと行きたいと思っております。(できるか・・・。)

では、前置きはこれぐらいにして、とりあえず、いってみましょうか。
平等院修理2
まず、平等院の表門に集合です。見学時間の方は事前に訪ねたところ一時間弱というこのなので丁度良さそうです。
見学会自体は一日限定ですが、午前2回、午後2回の計4回行われ、それぞれ20人程度が定員です。昨年抽選に落選したときは、人数に関して「もう少し何とかならないものか。」と思っていたのですが、実際現場に入ってみるとやはりこのぐらいの人数が適正人数だなと思いました。ちなみに、今回の倍率は約2倍、前回は4倍だったそうです。
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人数が揃うと出発です。
表門をくぐり見慣れた阿字池を右手に見ながら覆屋に隠された鳳凰堂を見ます。もう、何回訪れたか忘れましたが、今日ばかりは雰囲気が違って見えます。
見事なまでの覆屋にスッポリ覆われた鳳凰堂の姿を初めて見るのですが、その様は、まさに
「籠の中の鶏」ならぬ、「籠の中の鳳凰」・・です。
で、グルリと回ってまず最初に説明があったのは、鳳凰堂ではなく、その近くにある六角堂の説明です。
『えっ、そんなのあったっけ?』
と、にわかに思い出せないような人もいるんじゃ無いかと思いますが、・・鳳凰堂を正面に捉えると左奧の方向にちゃんとあります。
screenshot_983.jpg
↑これです。
平等院のあずまや的に使われているこの六角堂。
意外に知らない人が居るようですけど、この六角堂の部材は、すべて
鳳凰堂修理の際に再利用できなくなった鳳凰堂の古部材を使って造られているんです。
知ってましたか?
抜きの臍(ほぞ)なんかがそのまま残っていることから『どこかの建築の再利用品』だということはすぐに想像付きますが、鳳凰堂のものとは。
そう思うと俄に格式高く感じますよね。どこがどこの部材かハッキリした記録は無いそうなのですが、頂上のタマネギ・・・いや、失礼、宝珠なんかは翼廊のものらしいですね。廃材とはいえそこは元鳳凰堂の部材。何百年も前の息吹を身近に感じることができるこの六角堂。スルーしていた人も再訪の際は是非注目して下さい。
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【平等院南側翼廊部分から入ります。見えているのは資材運搬用の梯子です。】

そして、いよいよ足場用の約5000本の丸太が組まれ覆屋に隠された鳳凰堂前にきました。一体中はどのようになっているのでしょうか?
注意事項もそこそこに気持ちだけが前のめりに焦ります。
DSC01128.jpg
早速中に入るとベールに包まれた鳳凰堂が即座に姿を見せます。隊は狭い足場を抜け、感動を得る隙も無くすぐに2階部分に上がります。
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ここで、今回の見学者のコースを簡易CG化してみます。おおよそこのようになっていました。
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南側翼廊(を1階とするならば)から入り、スロープを上がると2階にでます。通路は中堂の裳階(上層)の屋根よりやや低いぐらい。そして、さらにスロープを上がると3階に出ます。3階の通路は主屋根の軒の高さとほぼ同じです。
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時間が無くてあまり造りこめなかったのですが、雰囲気だけでも伝わりますでしょうか。(笑)
CGでは思いっきり省略していますが、もちろん職人さんのための足場は全方位に掛けられて自由に歩くことができます。
で、我々見学者はこのブルーの通路に限定されます。よって、中堂及び翼廊共に目視出来る範囲は限られます。ほぼ正面のみで尾廊側には回り込めないようになっています。また、通路はもともとが一般参加者の為の通路では無いので非常に狭いです。
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【一階の南側。正面に見えるのは南側(鳳凰堂正面左側)の翼廊】

先に「定員が20名では少ないように感じる。」と個人的に思っていたことを撤回したのはこのせいで、やはり現場に入ると20人ぐらいが適正だと感じます。20人という人数でも解説の際やや横に広がらざるを得なく、小さいパネルを使用しての説明だったので、これ以上の人数だとリアルタイムで解説が入ってこないのではと思います。
そして、中に入ってまず驚いたのは、屋根部分などの瓦葺きに関しては部分的に多少残っているものの、目に見える範囲の修理・塗装がかなり終わっていることでした。(特に塗装はこの時点で殆ど?塗り上がっていた。)
個人的には修理見学と言うよりも、一足早い完成披露という印象です。(笑)
これについては、解説の方も仰っておりましたが、朝(9時半)の回では主屋根の瓦はまだまだ葺き終わっていなかったということですが、夕方(15時)の回では殆ど葺き終わっており、このような状況になったそうです。
撚り完成に近づいた姿を見たいのか、未完成の状態の方が貴重なのか、そういう意味では修理もLiveなので状況は刻一刻と変化しているし、作業の進行を妨げるわけにもいきません。まして、宇治の観光のドル箱である平等院は、修理ももちろん大事ですが、「とにかく一日も早い完成を」と、お寺側から言われているそうです。世界中の皆さんが待ってますからね・・。ご苦労様です。
鳳凰堂5
国宝建築の修理
国宝と名の付く建築は数あれど、修理を一度も行わずに残存している建物はほぼ皆無と言って良いでしょう。
基本的に野外にある国宝建築は、屋根で数十年、解体修理が百年単位で必ずと言って良いほどやってきます。
その修理においても、建築が広い日本列島のどこに置かれているかという環境によっても違いますし、建築そのものが持つ素材などによっても異なるということが言えます。
先人達が時に命がけで守ってきた建築は、今日、何百年という長い時間を経て我々の目の前に存在しているわけですが、建築そのものが持つ歴史の側面にはこうした修理の歴史があることを忘れることはできません。

そうした建築の側面である修理歴を紐解くと、平等院鳳凰堂は過去に何回かの大規模修理が行われ、平安建立当初のオリジナルからその姿をかなり変えていると言われる建築でもあります。
その修理歴については、有名なところで、明治・昭和・平成の3回大規模修理が行われています。
また、それ以前にも小規模の修理はあったようで、この件については見学会でも説明がありました。
大きなところをザッと箇条書きにすると・・
明治修理(明治35-40年)・・・屋根小屋組の補強・尾廊・翼廊解体
昭和修理(昭和25-32年)・・・中堂解体・明治修理の見直し・基礎補強など
平成修理(平成10-15年)・・・主に庭園整備 州浜及び翼廊基壇復元整備

が主なところです。
今回の修理を入れれば4回と言うことになります。
そして、今回の修理は、
平成修理2(平成24-25年度末)・・解体を行わず主に瓦の葺き直し、デザイン変更、中堂・翼廊・尾廊の全塗装、金物修理など

こうした建築の修理は難しいものであり、その実際は大変な作業であるわけです。
中でも修理の方向性をどうするか?ということについては賛否が分かれるところでしょう。
現在の技術を持って耐久性の面から大きく改変してしまうのか、あくまでも当時の建築技術を強襲し、守るのか。など。
もちろん、基本的には何も足さず、何も引かないといのが理想ではあるのだけれど、激変する今日の環境や将来を見据えた修理を行うのが本筋であり、それにより変えざるを得ない修理が発生するのは致し方ないというところでしょう。
鳳凰堂もそうした修理の紆余曲折があり、今回の修理においても改変するところは改変するという方向性で決定したようです。

では、具体的にそれがどのようなものであるのか、詳しく見ていくとしましょう。(つづく)

悲喜交交(ひきこもごも)

11 06, 2013
screenshot_974.jpg
【明通寺・本堂】

さて、
4日月曜日に秋旅行から無事帰還しました。
結構な国宝建築を回りまして、しばらくはブログのネタにも困らないと思います。(?・笑)
ただ、結構な下調べをしていったにも拘わらず思いっきりガッカリしたり、意外なところが凄く良かったり。
やっぱり現場に行かないと・・・全然違いますね・・。

それはそうと、当ブログでも早々にエントリーしなければならないものが。
しかし、・・・有休を取っている間に大量の仕事が・・・(泣)
まずはそれを片付けないと。

プロフィール

Author:Kazz
Welcome to my blog

Kazz zzak(+あい。)へようこそ。
Kazz zzaK(+愛・逢・遇・合・・・ etc)
あい。は、人それぞれ。

英語で i は自分ということ。

Kazz zzak(+i)

色々な「あい。」と自分をプラスして
Kazz zzak+i=「Kazz zzaKi」

「カズ雑記」

身の回りの好きなこと。好きなモノ。
関心のある事。
写真と共に何でも書いていきます。

気に入ったらまた遊びに来てください。

尚、このブログ内全ての文章・写真には著作権があります。販売も行っておりますので
無断で使用・転載する行為を固く禁じます。

コメントは基本的に悪質で無いものは承認する方向です。
ただ、メールで個別に対応することは時間的にも余程のことが無い限りできませんので
コメント通してすることになります。宜しくお願いします。

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