古の絶景な、世界。

09 25, 2010
姫路城 Himeji-Castle
Kazz現存天守12の旅


姫路城天守閣

ⓚAll Rights Reserved.Photo by Kazz          南側天守からの眺め。素晴らしい。



タイトルを隠して、この扉絵からの眺めが、何処の城からの眺めかわかった方はかなりの城マニアです。(笑)

兵庫県姫路市、国宝であり、世界遺産にも登録されている姫路城。屋根に乗った鯱瓦(しゃちがわら=火災よけ)くんと共に、古の世界から今回のエントリーです。

さて、日本各地に城は数あれど、現存する天守を持つ城は12城を数えます。(小天守を含めると14城。また、何をもって「現存」とするかは定義が分かれ物議をかもしだすところとなりますが、ここでは定説である12とします。)これが多いか少ないか。日本にかつてあった城の総数の割合からすると劇的に少ないです。

かつて日本には城が25000はあったといわれています。

凄い数です。

今日でこそ、我々は城を非常に貴重なもの、文化財というスタンスで見ているので、城が取り壊される様というのは想像も付かないし、現代にこれをやったら無論大問題になります。ですが、当時は事情が異なり、城を取り巻く環境は劣悪で、文化財とはほど遠いものでした。

話をやや遡らせ、ではなぜ、こうした城は壊されなければならなかったのか?

明治時代、江戸時代の遺物であった城は非常にやっかいな存在でした。政府は廃城令を出し、このやっかいな文字通り「城物(代物)」を取り壊すよう命じました。つまり、大きな理由のひとつとして、反政府の根城にされるのを懸念した訳です。
豪華絢爛な城も裏を返せば「闘うための要塞。」今で言う軍事の中枢を担う場所です。決して鑑賞目的の趣味で造ったモノではないのです。陸戦という戦いの図式は、江戸時代からかわらないままでしたので、政府はこうした城=軍事拠点を「即刻とりこわせっ!」という令を出した訳なのです。また、こうした城は維持費がかかりすぎたのも解体の原因のひとつです。空襲での火災による消失も数多くありました。この姫路城もそうした戦火に見舞われました。空爆後の写真を見ると辺り一面が焼け野原になっています。不発の焼夷弾が天守に残存していた奇跡は、姫路城のエピソードとして有名ですが、それらによって失ってしまった城のことを今日考えると勿体ない話なのですが、当時としては仕方のないことであったのかもしれません。

けれどもまだ当時のままの天守を備えた城が12城残っています。そんな城主の間からの眺めが見たくて、自分の旅の縦軸のひとつとなる現存天守12の旅は始まったのです。

姫路城は現存天守の中でもダントツの人気を誇る城です。現在(2010.9月)修復中につき大天守は拝めませんが、今回のエントリーに伴い2008年10月のやや古い写真を引っ張り出してきました。
そんな姫路城ですから、研究者を始め、先人達の詳細な記録や考察がWEBには沢山あります。ですので、ここで私の拙い知識を出したところでたかが知れています。

「だったら、やめれば。」

いやいや、少し待ってくださいよ。チョットだけ語らせて下さい。

姫路城

ⓚAll Rights Reserved.Photo by Kazz


姫路城はその白い姿が大空に飛び立つ様から別名「白鷺城」「しらさぎじょう」「はくろじょう」とも言われるみごとな「白い城」です。一枚目の写真にあるように、瓦を葺いた元にも白い漆喰を盛り、屋根さえも「白く」魅せようとする拘りが感じられます。城は当時の日本建築技術の結集をもって造られた芸術品です。例えば、この、白く魅せる、という技術にも色々と秘密があったようです。

姫路城と言えば、白・シロ。

ここで、「シロノイロ」=「城の色」のお話です。

城ってなぜ「シロ」と「クロ」があるのでしょうか?

国宝で言えば、姫路城はシロ。松本城はクロ、かつての大坂城もクロだと言われます。シロクロ。この「城の白黒」については、日本の城郭建築が深く関わってきます。

時代は戦国。今でこそ柱は四角ですが、当時柱と言えば「丸」が当たり前でした。つまり、木を伐採して木材にするには丸太を多少加工して柱にする事が当たり前とされてきました。木を四角く切る技術(角材を造る技術)が無いわけではありませんでしたが、それは手間のかかる作業であることは勿論、同時に膨大な費用と時間を生みました。

たかが角材、されど角材。

角材一つをつくるのにこれだけの手間がかかる時代、まして城を造るのはとてつもない作業だったということが容易に想像できます。
戦国時代の終わり、ようやくこうした手間から解放される技術と道具が生まれました。大鋸(おが)といわれる鋸の誕生です。この鋸は縦に引くことが可能な鋸で、この道具の誕生により、角材と壁に使われる平板の大量生産が可能になりました。因みに、言葉の由来として、この大鋸(おが)を引くときに出る大量の木屑を「大鋸木屑(おがくず)」と呼びます。(以降一般的に木屑をおがくずという。)
このように大量生産の可能となった平板(下見板張り=したみいたばり)を壁に使い、雨を防ぐために柿渋や墨、黒漆を塗った黒い城が誕生したのです。そういう意味では、この「黒」という色は必要にして成った色という感じがします。
 
一方の「白」は時代がやや進みます。白い壁、すなわち白漆喰は江戸時代が始まる頃ようやくその材料である石灰が大量生産されます。城壁も時代に逆らわず、漆喰に推移し、それ以後、城壁はこの漆喰の白が主流となっていきます。
ところで、この白黒の城には面白い俗説があり、豊臣=黒、徳川=白などといわれそれぞれの政権下で色の違いがある。というものですが、真意は定かではありません。但し、耐久性の問題があり、漆喰は10年持たないといわれ、時代に関わらず、コスト削減のため板張りに戻すエコな城もあったようです。

壁の話一つにしても、権力の象徴であった城にまつわる話は尽きません。


姫路鉄砲狭間

ⓚAll Rights Reserved.Photo by Kazz

姫路城の鉄砲狭間。○ □ △のデザイン(デザインじゃないけど)が何か可愛らしい。


現在改修工事中のこの姫路城の真っ白な勇姿が再び姿を現すのは2014年、我々はあと4年待たなければなりません。
改修工事が終了した真っ白な姫路城を是非見に行きたいです。

さあ、現存天守は残り11城。お城にまつわる大したこと無い話が聞きたい場合、またこのブログに遊びに来てください。





姫路城地図





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