命との天秤。伝説の茶釜「古天明平蜘蛛」松永久秀 流、死の美学。

10 10, 2012
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古天明平蜘蛛  kotenmyo Hiragumo
Kazz日本全国古(いにしえ)の旅

その茶釜は、蜘蛛が這いつくばるような低いフォルムを持ち、極めて奇形かつ流麗な茶釜であったという。

とかく茶道具というのは面白いものだ。
茶碗や茶杓、色々な道具に逸話があったりするものだが、中でもこの茶釜「古天明平蜘蛛 」(こてんみょうひらぐも)ほど逸話があるものはないだろう。
作者不明の茶釜ひとつを巡り丁々発止のすったもんだで所有者が結局爆死。(諸説あり)
その所有者が、あの戦国三大梟雄(せんごくさんだいきょうゆう)のひとりである松永久秀。・・と、くれば逸話が無いわけが無い。(笑)

松永久秀と言えば、時の将軍を殺害したり、主君を毒殺したり、東大寺に火を付ける(これも諸説あり)など、やるわやるわの悪行の数々。この手の話をすると必ず名前が挙がります。
要するに戦国時代の中でも一二を争う悪(ワル)の手の中にあったがために、最終的には何の罪も無いこの古天明平蜘蛛も巻き添えを食い爆死させられたと言う悲しい顛末。
いつぞやか日本がバブル景気で浮かれていた頃、ゴッホの「ひまわり」を膨大な金額で競り落とし、自分が死んだときに自らの棺桶に入れて一緒に灰にしてくれといった人がいたとかいないとか。
もちろん本人は軽い冗談のつもりだったのだろうが、例え冗談でもこういう言葉が出てくること自体がおかしい。
まぁ、何千歩か何万歩譲って、中にはそういう気持ちがわかる人もいるのだろうが、例えそうだとしても公衆の面前で言っては道徳心が疑われる。(笑)稀代の芸術品の扱い方にしては言語道断だ。
そういう意味では、この古天明平蜘蛛もある意味似たようなものか。
また長くなるのであまり掘り下げないようにするが・・・。

時を遡ること今から435年。西暦にして1577年、かの織田信長に反旗を翻し、大和信貴山城に籠城した松永久秀。
結局、信長包囲網に観念し屈することとなるが、その時、信長はある提案をする。
それが、「命と引き替えにそなたの持つ平蜘蛛の茶釜を差し出せば助けてやらんでもない。」というものであった。
松永久秀としても自らが作ったとは言え人生最大のピンチ。状況が状況だけに茶釜一つで命が助かればしめたもの。過去に何度か裏切りにあっては久秀を救ったこともある信長としては、こうした度重なる愚行は謂わば飼い犬に手をかまれたも同然だったし、元来であれば問答無用で即刻首をハネても良いところ。そこを「茶釜ひとつ渡せば許そう。」と、申し出たのだ。
この慈悲にまさに首の皮一枚繋がった久秀。本来なら、
「誠に申し訳なかった。平蜘蛛茶釜を献上いたします。どうか命だけは・・。」
ということになるのだろうが、松永久秀もこの時68歳。もう先が無いと思ったのか、断固としてこれを拒否。
命との天秤にかかった平蜘蛛の茶釜。
結局、これをどうしても渡したくない松永久秀は、最後の手段として自らの道連れに平蜘蛛の茶釜もろとも爆死したのだ。

久秀が例え平蜘蛛を献上したところで、命があったか定かでは無いが、久秀といい、信長といい、たかが茶釜ひとつにこれだけ固執するとは・・。この古天明平蜘蛛とは、それほどまでの名品だったのだろう。
そして、そこにあったのは、信長との因縁。
ただ単に平蜘蛛を渡したくないだけじゃ無く、久秀も「信長(こいつ)にだけは渡したくない。喜ばせたくない。」という絶対的な心理が働いたのかもしれない。なぜなら、久秀は以前苦労して手に入れた大名物茶入れ・九十九茄子(つくもなす)を信長にとられた経緯がある。この時の九十九茄子といえば、一国はおろか、それ以上に値する大名物中の大名物。数寄者の究極のアイテムだ。その悔しさたるや相当のものだったのであろう。
そういう意味でもこの平蜘蛛は絶対に渡したくなかったはずだ。
従って選択肢はひとつしかない。
この時の久秀の心理はいかなるものだったのか。

とかく、松永久秀と言えば悪名ばかりとどろかせているが、出所不明のこの古天明平蜘蛛を所有していただけでも相当の目利き、数寄者であるということがいえる。前述した九十九茄子にしてもそうだ。とにかく結構な名物コレクターだった。また、優れた茶人として一目置かれていたことは、いわずもがな、有名である。
この時、自分がまだ若く、例え平蜘蛛を渡したとしても奪還できるチャンスがあれば渡したかもしれないが、ここでこいつの手に落ちたら、もはやそのチャンスは無い。さもなくば・・・。
もはや平蜘蛛云々より、信長に対して平蜘蛛共々自爆することで自分の最期の意地を見せたかったのではなかったか。
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ところで、平蜘蛛自体は作者も不明であり、謎の茶釜として現代に語り継がれているが、それはこの平蜘蛛を取り巻く様々な物語がそう伝えられているだけであって、平蜘蛛自体が取り上げられているわけでは無い。
事実、この古天明平蜘蛛自体に関する情報は先の「蜘蛛の這いつくばった・・」という謂われしか残っていないようだ。
全体に「あられ」(茶釜に見られる特有のツブツブ)がまぶしてあるとか、蓋の取っ手が象牙であるとか・・そういう踏み込んだ記述は結局残っていない。
だが、それがかえっていいのだろうな。平蜘蛛は魅力的すぎる茶道具の一つではあるが、具体的に記されていないところと、こうした逸話との相乗効果がいっそうミステリアスな茶道具のとしてその伝説を浮き彫りにしているのであろう。

一方で、実はこの平蜘蛛の茶釜が現存しているという説もある。
浜名湖舘山寺美術博物館が所有しているもので、伝承通りのフォルムを持つあの平蜘蛛茶釜に雰囲気は一致する。自分はまだ未見だが、写真を見る限り低いフォルムと言い、風格と言い、伝説の通りのようである。無論これがあの松永久秀が所有していたものと同一であるかというのは不明だが、ちょっと見てみたいものである。
このように、一概に平蜘蛛茶釜と言っても現代と変わらず、「写し」が多かれ少なかれ存在していたと思われる。
松永久秀が所有していた古天明平蜘蛛。この古天明とは天明釜、鋳物生産で有名な現栃木県佐野市で造られたものであると言われている。
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時として保身、命との天秤に掛けられた時代の名品茶道具たち。
もし、自分が松永久秀の立場だとしたらどうするか?
自分の最も大切な物を頑なまでに他人に渡さなかったあげく、死を選択し、その物も破壊してしまうと言う結末。
行為自体はあまり褒められたことではないと思うし、現代でこれをやったら非難囂々だろう。
あの織田信長が、
「殺すには惜しい男」
と認めていただけに、死を持って己の意思を貫いた久秀に、信長も
「あやつ、らしい。」
と、思ったのではなかろうか。

平蜘蛛と共に死す。これぞ、松永久秀流の死に様。そして、彼なりの死の美学だったのかもしれない。

なお、余談だが、松永久秀がこの平蜘蛛と共に爆死したのは天正5年10月10日であったという。

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