あなたは「超」を何個付ける?三井記念美術館『超絶技巧!明治工芸の粋』は、必見だ! 其の前編 謎の牙彫師 安藤 緑山

06 13, 2014
超絶技巧扉11

さて…。
扉一枚のためにCGを造ったぞ。(笑)(並河靖之 桜蝶図平皿)

日本のものづくりが改めて評価される今日。怒濤の進撃を見せるのが明治工芸。所謂「ものづくり日本」の原点とも言えるべき明治工芸がここ数年かなりクローズアップされている。
当ブログでも過去、年にして2〜3の美術館エントリーを行ったことがあるが、今回その中でもかなり印象に残る特別展に行ってきた。
それが、現在三井記念美術館で開催されている『超絶技巧!明治工芸の粋』だ。(2014年4月19日〜7月13日)
超絶技巧と言う言葉は聞き慣れないが、その名の通り工芸家が持つ大凡人間業とは思えない超人的なテクニックを称してこう呼ぶのだ。

時代は明治。
武家社会の終焉により行き場を失った各藩お抱えの工芸師達は、後に日本が工業大国と呼ばれる先駆けとも言える万国博覧会輸出にその活路を見いだした。世界的な万国博覧会ブームもあり、日本も明治6年のウィーン万博に初参加、そこに並べられた日本が誇る美しい工芸品の数々は来場者の度肝を抜き、世界を震撼させた。日本工芸のレベルの高さを世に知らしめ、工芸(輸出品+α)としての国力を確立した。
明治工芸はもともと「知る人ぞ知る」的なところがあり、日本よりも寧ろ海外での高い評価で今日に至る。
逆に日本ではあくまで工芸品(単なる輸出品)の粋を脱せず恐ろしいほどその評価は低かった。ある意味十把一絡げ的なところがあり、酷い扱いだった。しかし近年、そうした長い不遇の時代を経て再評価、一般的にも広く知られるようになり、ここ十数年で爆発的なブームの兆しを見せてきた。
その先駆けともなったのが京都にある「清水三年坂美術館」の館長でもある村田理如氏のコレクション。通称「村田コレクション」今回はそれを惜しげもなく一挙公開している。
この特別展は現代では再現不可能とまで言われたそれら「超絶技巧」をもってして造られた作品が一堂に集う大注目の特別展である。

明治工芸と言えば、日本で常設展として明治工芸を展示している美術館は数えるほどだろう。当ブログでも以前横浜にある眞葛ミュージアム・宮川香山をエントリーしたが、今回の特別展はその数と種類からしても規模が違う。
ざっと見ただけでも、安藤緑山、並河靖之、正阿弥勝義・・・おおっ、凄い、これだけの作品を一堂に集めたのは初めてではなかろうか。
知ってる人は知っている。知らない人は全く知らない。稀代のスーパースターの競演・・・いやぁ、驚演といっていいのではないだろうか。

・・・とはいいつつも、正直に白状する。
作品は知っていても作者の経歴までそれほど詳しいわけじゃない。だからこそ今回の特別展を楽しみにしていたのだ。

ところで、
明治工芸の中でも数々の分野があり、今回はその展示が七宝、金工、自在、自在、印籠、牙彫、刀装具、薩摩、漆工、刺繍絵画に分かれている。どれひとつとっても見応え満点で時間を忘れるくらいだ。
それらの作品に大感動しつつエントリーを行っているのだが、書き始めてしばらくもしないうちに長くなりそうな予感。
今回は個人的に特に気になった作品と作者にポイントを絞り前編・後編に分け、エントリーを進めていくことにしよう。
では、早速。
まずはその素性の全てが謎に包まれている牙彫師、「安藤緑山」(あんどう ろくざん)だ。
安藤扉8
【安藤緑山先生に敬意を表し素朴なCGを造ってみた。先生の蜜柑のようには・・(笑)】

丁度一年前ぐらいだっただろうか。
テレビ東京系の美術番組「美の巨人たち」で安藤緑山を取り上げたことがあった。自分は偶然この回を見たのだが、思わず用事の手を止めて番組を見入ってしまった。
もちろんその時には安藤緑山の「あ」の字も知らず、何の先入観も持たないでその番組を見ていたのだが、今にして思えば安藤緑山を大々的にテレビで取り上げたのはこの番組が最初だったのではないかと思う。
その際大きく取り上げていたのが今回にも展示されている「竹の子、梅」だった。
この「竹の子、梅」はどこかで見た気がしたが、それが安藤緑山という作家のものだということはこの番組を通して知った。

自分も知らぬが、世間的にも安藤緑山についてはほとんど知られていないという。
また、作品も現在わかっている段階ではそれ程多くない。
弟子も取らず、その技法にしても謎のヴェールに包まれたまま。
そんな中、安藤作品は我々に黙して雄弁に語るのだが、今回の展示会には先述の「竹の子、梅」を始め、柿や茄子・・・といった彼の代表作が並べられている。作品はシンプルな野菜、果物、昆虫、などが主で比較的シンプルな身の回りのモチーフが多い。
言い換えれば、少々「地味」だ。
安藤緑山という人物像についてはわからないことだらけだが、こうした作品を造り続けてきたスタンスからプロファイリングができるのではないだろうか。
完全主義者、孤独、独占欲、秘密主義、探求者、観察眼、努力家、頑固、負けず嫌い・・・安藤作品から連想されるワードをたぐり寄せていくと、朧気ではあるが何となく安藤緑山という人間がわかるような気がする。
ando takenoko
今回初めて安藤緑山の作品を生で見たのだが、やはり「竹の子、梅」に視線を奪われた。安藤作品の中ではこの作品のみ単独展示である。
全長は37センチで安藤作品の中では大きい作品だ。竹の子がそそり立つように置かれ、傍には絶妙に置かれた梅の実が3個ほど置いてある。この梅があるからこそ倒れないでいる。感想は月並みだが、やはり驚嘆に値するほどリアルで、細部まで非常に丁寧に彫り込まれている。
・・・と、思う。
と、思う。とはどういうことか。
・・・情けないことにこの作品を見て自分は逆に思い知らされた。
どれだけ「竹の子」というものを知っているのだろうと。
これは何も安藤作品に限った話しではないが、とりわけ安藤作品の真骨頂は素朴な身の回りのモチーフをいかにリアルに造り上げるかというところにある。故にこれらの作品の神髄を楽しむためにはそれらの「元」となる「本物」を知っているということが大前提なのだ。
つまり、何が言いたいのかというと、例えば、竹の子を知らない人間がこれを見ても、「すげえ」とか、「リアルだなぁ」で、終わってしまう。もちろん作品の楽しみ方としては間違っていないし、鑑賞の仕方は個人の自由だが、そこから一歩踏み込んで、「竹の子のこんなところまで牙彫で再現しているのか!」と感嘆、感動するためには、その元となる「本物」をどれだけ知っているかによる。
そういう意味で、自分は竹の子を知らなさすぎた。(泣)
本来なら、「竹の子、梅」の竹の子は採れたて瑞々しい竹の子そのものと言っても良いぐらいで、その根の綺麗なピンク色まで再現されている。・・・と、感動するはずだったのだが、採れたての竹の子を知らないため感動できない。
この作品は、竹の子を知っている人が、より楽しめた。いや、この作品に限らず本物をより知らなければならないことは、すべての安藤作品を前に言えることではないだろうか。
自分のようなレベルでは安藤緑山が極めようとした世界は到底わからないだろうし、それ以前の問題だった。
「へぇー、本物ってこうなってたんだ。」
・・・逆だ。この作品から本物を学ぶようでは、それこそ本末転倒だと思うし、安藤緑山もあの世で苦笑いだろう。

「お前さんには、わかるまい。」
圧倒的な技術の前に、何となく安藤緑山にそう言われているようでこの作品を100%味わえなかったというのが本音だ。モチーフこそ身近だが、レベルが高すぎてとてもじゃないが気楽に見られるような作品には思えなかった。
この作品に出会わなければそれこそ竹の子ひとつでここまで落ち込むことは無かっただろうし、圧倒された。
まぁ、考えれば、竹の子なんてせいぜい調理されたものが食卓に並ぶだけで、採れたての瑞々しい竹の子なんて意識して感じたことがない。そもそも竹の子を見て感動することが無いだろう。だが、それを模して造った作品には大いに感動する。この違いは何か?それは、限りなく本物に近く造ろうと試行錯誤する作り手の技術や努力、妥協を許さない芸術家としての精神に感動するのだ。肩の力を抜き、感覚的に「凄いなぁ」と思うことは時に必要で悪くは無いが、それはあくまで見る側の人間の勝手な意識。多分、安藤緑山自身は他人の評価など考えていないし、必要も無いのだろう。
あるとすれば、、己の全てを尽くして造った作品が、納得のいくものであるか、そうでないか、それしかないだろう。
超絶技巧とは、作品を通して感じる作者の圧倒的な気(オーラ)そのものではないだろうか。
ando kaki1
くり返すが、謎の超絶牙彫師 安藤緑山については殆どのことがわかっていない。
この、わかっていないレベルはかなりのもので、まさかの生没年にまで及ぶ。一応略歴上は1885年頃に東京(府)に生まれ青年期(?)に現東京都台東区に居住していた記録が僅かに残っているようだ。没年は1955年。年代からすると作品的にどこかにもう少し残っていても不思議ではない。
今回の展覧会の図録には、安藤緑山について不明としながらもかなり突っ込んで調査した記録がある。これを見ると行方が分からない作品を含め●可能な限り分かっていることを少し整理してみよう

●家族構成は不明
●生没年月日は1885年(明治18年)頃〜1955年(昭和30年)頃
●本名は安藤緑山ではなく、萬蔵(号は萬象、萬像を使用)
●1910年(明治43年)、1920・21年(大正9年、同11年)の東京彫工会会員役員人名録から、この時期に現東京都台東区台東三丁目・四丁目あたりに居住していた。
●師匠は浅草小島町に居住する大谷光利なる人物
●作品には銘が併記されるものもあり、その人物は金田兼次郎(かねだけんじろう1847-1914)牙彫家・牙彫商


※図録 超絶技巧!明治工芸の粋 安藤緑山の牙彫ー研究序説として 小林祐子 から引用して要約。

と、ザッとではあるが、基本的にはこのぐらいのことしかわかってはいない。
作品については現在日本にある安藤緑山作品のうちの半分以上が展示されている。また、三井記念美術館でも2点の安藤作品を所蔵しているが、今回それらは展示されていない。
ando kabu
安藤作品で最も驚かされるのが、その細密な技術は元より、これまで地色一辺倒であった牙彫に極めてリアルな彩色を用いたことだと言われている。
自分のような素人がいうのも何だが、安藤緑山の作品に派手さは無い。どちらかというと地味・・いや、素朴なテーマで作品を造り続けていたが、やはりこの彩色無くしては安藤作品とはいえない。仮にこれに色が付いていなかったとしたらどうだろうか。更に素朴になっただろう。(笑)
確かに実際に作品を見ると造形もさることながら彩色が特に素晴らしいと感じた。これを言葉で伝えるのは難しい。テレビや写真では無く「生」の感覚を味わってみて欲しいとしかいいようがない。色の感じでは個人的に「柿」が非常に良かった。
作品的な技法もさることながら安藤緑山の彩色技法につては更に分からない部分が多いそうだ。
その点について今回特別展で入手した図録の中には彩色技術を含めた謎を解明すべく科学的な側面から検証した詳しい解説がある。X線を使用した透過画像や、どういった顔料などを使用しているか、など。でも、ちょっと素人には難しい。結論から言うと、マイクロファイバースコープや化学分析によるアプローチをもってしても安藤作品の詳細は分からないレベルなのだ。
これぞ、超絶技巧といえるだろう。

総じて安藤作品に感じる個人的な感想は、ただ、作品を売らんが為に造っているわけでは無く、行き着くところは単純な「牙彫を通してどれだけ本物に近づけられるか」という究極の追求だったのではないか。牙彫の超絶な技術にしても人に教えること無く自分一代で終わることを本望とすることならば、それはもう自分自身を納得させるための芸術という名の孤独な戦いでしかない。

もしかしたら、それが、安藤緑山という男の本質だったのかもしれない。(後編へつづく)



2 Comments
By 老婆心06 15, 2014 - URL [ edit ]

「超絶技巧」という単語は佐村河内某で色がついちゃいまいしたね(笑)

スーパーリアリズムというのは美術の世界では「写真を介在させた絵」らしいですが
この彫刻をスーパーリアリズムと言ってはいけないのかな?

YouTubeでスーパーリアリズムのイラスト画をどうやって描いているかをみることができます。
その出来栄えにため息がでますが、半面「ならば写真でもよくね?」みたいな気持もあります。
私は近年早世した磯江毅が好きなんですが、なんで「本物そっくり」な偽物を
作る人も見る人もおいかけてしまうのでしょうかね。

By Kazz06 15, 2014 - URL [ edit ]

老婆心さん こんにちは。
いつもコメントありがとうございます。

「超絶技巧」=「スーパーリアリズム」
おそらくそういうことになるんでしょうが、何となく「超絶技巧」の方が言葉の響きと
格が相応しいような、そんな気がします。

人はなぜ「本物そっくり」な偽物を追ってしまうのか。
深いテーマですね。確かに本物の方が良いのでしょう。ただ、偽物として完成したものは勿論として、
それを造る道程に人は魅力を持つのかもしれません。

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