あなたは「超」を何個付ける?三井記念美術館『超絶技巧!明治工芸の粋』は、必見だ! 其の後編 ふたりのNAMIKAWA

06 30, 2014
超絶後編扉3
さて、
CG奮発して後編へ。
現在三井記念美術館で開催されている「超絶技巧!明治工芸の粋」(2014年7月13日まで)前回は謎の牙彫師 安藤 緑山を取り上げたが、今回は個人的に気になった二人の天才をエントリーしようと思う。
その二人とは、並河靖之 濤川惣助(なみかわやすゆき なみかわそうすけ)二人のNAMIKAWAである。
七宝界で伝説的なこの二人について知らない方はいないと思うし、超がつくほど有名なのですが、ごく一般的な知名度からいえば、そう高くないと思う。実際、自分の周りでこの二人を知っている人はいなかったので熱く語ろうにも語れない。(笑)
作品の殆どが海外に買われたため見るにも一苦労だし、常設では今回の特別展に大貢献されている清水三年坂美術館を始め、本家の並河 靖之七宝美術館(京都)以外には見つけるのがなかなか難しい。嬉しいことに近年再評価という形でマスコミなどに取り上げられるようになったが、まだまだ気軽にというわけにはいかないのが悲しい。
故に、ふたりのNAMIKAWA作品に限らず、超絶オールスターズとも言うべき作品が一堂に集まる今回の特別展はいうまでもなく貴重な機会であるのだ。

明治維新後、こうした工芸品が当時急速に近代化が進む日本の外貨稼ぎに一役も二役も買っていたことは知られているが、改めて見なくてもこれが売れないわけが無い。後に並河 靖之の妻が語った、(最盛期には)「申し訳ないほど儲かった。」といった台詞がそれを象徴している。
並河作品の値段がいったいどれくらいか?という具体的な良い目安がある。自分の知る限り一度だけテレビ東京系の「なんでも鑑定団」に並河 靖之の小さな花瓶が二点出たことがあったが、その時の鑑定額は二点で270万円だった。(120万円と150万円)
そんなわけだから、その評価は海外において絶大で、オークションなどでも日本の工芸品はとんでもない高値で取引されたという。中でも並河靖之の作品は、そのあまりの出来映えに有力な参加者達が箱の中身も見ずに落札したと言う逸話が残っているぐらいだ。まぁ、これは極端な話しだけれども、それぐらい凄かったと言うことだ。
ともあれ、日本の超絶技巧が海外を席巻したことは嬉しいことだが、時代が急ぎすぎて作品ばかりに焦点が当てられ制作者についてはそれ程関心が無かった時代だと言えるのかもしれない。当の本人をいつの間にか忘れてしまったことを含めそうした意味では、時代がひと巡りし、「NAMIKAWA」が、ようやく「なみかわ」になったのかな、と思います。
namikawa kazaritubo2
七宝界の頂点へ
唐突だが、七宝の言葉の由来。
まず、七宝とは、七つの宝として存在する、「金・銀・真珠・瑠璃・蝦蛄(シャコ)・瑪瑙(メノウ)・まいえ(ルビーの一種)」(諸説有り)だといわれています。
そして、それら七つの宝に勝るとも劣らない宝の意味も込めて「七宝(焼き)」ということでしょう。
七宝焼きは、元となる作品に下絵を描き、金や銀などの細い線(植線)をその下絵に沿って貼っていき、完全に囲ってしまいます。そこに色とりどりの釉薬を流し込み焼いていきます。焼き上がったら今度はその作品を丁寧に研磨し、ピカピカに仕上げます。極めて手間の掛かる技術です。
七宝の歴史は古く、その起源は必ずしも明確ではありませんが、有名どころとしては、古代エジプトのツタンカーメンのマスクの一部を飾ったものなどがあげられます。
日本で最も有名な古い七宝といえば、奈良時代の正倉院にある「黄金瑠璃鈿背十二稜鏡」でしょう。正倉院展などで公開はされているのですが、本物を見たことはありません。今回のエントリーとなる七宝焼きの手法とは違いますが、奈良時代にあそこまで凄い工芸品があることが驚きです。

ふたりのNAMIKAWAは共にほぼ同世代の七宝家。
並河 靖之は1845年京都生まれ、濤川 惣助は1847年(現在の)千葉県生まれ。後にふたりは東の並河・西の濤川 と呼ばれライバル関係を築く。
並河 靖之は長き歴史を持つ七宝界の頂点を極め、濤川 惣助は従来の基本形であった有線七宝から技法を革新、無線七宝という独自の技法をあみ出し、その頂点を極めた。厳密に言えば技法は違えど同じ七宝界の頂点に君臨する二人の巨人。現在の人間国宝にあたる帝室技芸員七宝界ではこのふたりだけ。
奇しくも、時代は同じ時期にふたりの天才を世に送り出したといえます。
蝶図瓢形花瓶
並河 靖之という男
並河 靖之は1845年武士の子として京都に生まれ、10才で宮家に使える並河家の養子となり、自らも青蓮院の宮に仕えます。
感受性が豊かな幼少をこうした場所で過ごすことで知らず知らずのうちに本物を見る力を養ったのだろうか。
後の作品を見るとケバケバしい派手さは無く、庭から見た日常の多彩な色を基本に、花鳥、昆虫など細部にこそ拘りを強くおき、それでいて繊細で端麗、気品ある作品としての調和に溢れている。
screenshot_1209.jpg
【京都 青蓮院門跡】

時代は移り明治になると武士の身分は無くなり、日本は新たに動き出した。並河 靖之もそれまでの生活から人生を模索する時期に入りました。
並河23才の頃、日本は外貨稼ぎのため工芸品作りを奨励します。時を同じくして有線七宝の技術が確立し、それが花瓶などに応用され工芸品として多く造りだされるようになりました。並河 靖之もこれに人生の活路を見いだし、未知である七宝の世界に飛び込んでいきます。
幼き頃から培った素養と才能、そして努力は一気に開花し、数年後の国内展覧会に出品した作品が入選します。程なく当時の日本では少なかった多色釉薬が外国により科学的に造り出されたことにより七宝の世界は遙かに飛躍を見せます。並河も研究とその釉薬から自分の色を造りだし、より一層自分らしい作品を確立する時代へと入っていきます。
同じ頃、世界的な万国博覧会ブームに日本は自国の工芸品を大いに売り込みます。それらの高い技術に世界は驚嘆し、日本の工芸品は受け入れられます。そこで、外国で受けるようなデザインを七宝家に指示し、造らせます。また、七宝に限らずクオリティーの高い日本の工芸品は右から左に売れていくので、手間の掛かる作品が間に合わず、ある程度妥協して造らざるを得ない状況下にもあったそうです。
ただ、並河 靖之はこういった国策に大いに反故し、自らのポリシーを曲げることは絶対にありませんでした。
それどころか、更なる研究を重ね、後に並河しか出せない色、「並河の黒」黒色透明釉を完成させます。
並河は優しい男であったが、頑なに自分の作品を守り、造り続けたと言われています。

ところで、
今回の展示会で大きくフィーチャーされているのは安藤 緑山の「竹の子、梅」だろう。マスコミの取り上げ方もそうだが、これだけの作品群で唯一の単独展示であることからもそれがわかる。
「竹の子、梅」も素晴らしくて言葉が出ないが、個人的にもっとも印象に残ったのが冒頭の写真にある並河 靖之の「花文飾り壺」だった。今回の特別展で一番最初に目にする作品だ。吸い込まれそうな闇を思わせる立体感のある漆黒、後に並河の代名詞になった「並河の黒」ベースに紫と白い藤が胴を司る色とりどりの菊に飾られ華やかで大変細密な小型の壺である。これを最初に見たときに圧倒され、個人的な目玉であった「竹の子、梅」はちょっと脳裏から飛んだ。(笑)それぐらいインパクトのある作品だった。これは「竹の子、梅」を見た後でも変わらない。
並河作品には薩摩焼のような大型の壺などはない。小型のものが多く、「小さくて細工が緻密」というのが並河 の真骨頂だ。
考えれば当たり前だ。
ただでさえ製作に時間と労力がかかる七宝作品の中にあって、その植線(下絵の囲い)細密さと彩色の手間を考えれば作品の製作期間たるやそれ相応の時間が必要であることは想像に難しくない。比較的大型の並河作品でその時間は約1000日が必要だったとも言われている。大型の作品は時間と労力が掛かりすぎるし、並河の好みに合わなかったのかもしれない。
桜蝶図平皿
並河は七宝製作が軌道に乗ってからもその手を休めること無く作品を造り続けたという。
職人もかなり雇っていたそうだが、事実上の後継者は無く、物価高や人件費高騰、後のオートメーション化で高品質な輸出品が簡単にできる時代になり、手間の掛かりすぎる並河七宝は次第に時代の波に呑まれていった。
気がついた頃にはその作品は殆ど海外に買われていることになり、帝室技芸員の作品を自国で守れなかった当時の環境は、並河 靖之を幻の七宝家とまで言わしめた。
並河 靖之は昭和2年、83才でその激動の生涯を閉じた。
藤図花瓶
濤川 惣助という男
冒頭にも記したが、もうひとりのNAMIKAWA、濤川 惣助は七宝界の巨人で有りながらその世界に革新をもたらせたパイオニアである。その革新的な技術こそが無線七宝である。
無線七宝とは早い話、色を流し込むための植線(下絵の囲い)をある段階で抜いてしまう技術である。これにより境界である輪郭がぼやけ、良い具合に隣色同士が混ざり合う。
有線七宝が輪郭線を伴いどちらかというと「カチッと」固いイメージがあるが、無線七宝の柔らかさは一目瞭然でどちらかと言えば絵画的な印象がある。それも、日本画のような。また、線が無い故、空間的な広がりが自由に感じるのが無線七宝。好き嫌いは分かれるだろうが、どちらも甲乙つけがたい。
自分も始めは圧倒的に有線七宝である並河 靖之の方が好みであったが、熟見すると無線七宝の濤川 惣助の作品も渋さという点では一枚も二枚も上に感じるようになった。
この濤川 惣助の無線七宝の技術は当然のことながら並河 靖之にも入っていたが、並河 靖之は、「線の美しさこそがあってこそ七宝である。」と自らが無線七宝を試すことはなかったという。
ayame zusawa
濤川 惣助は18歳になると上京し、鰻屋などで奉公しながら懸命に働いたそうだ。その働きぶりが認められ有名な酒屋の養子となり、明治維新で外国との交流が盛んになるとその酒屋を後継に譲り、自らは陶磁器の貿易商となった。
一方で、国は急速に近代化を進めその財源に万国博覧会と工芸品を利用する。
濤川 惣助はその後、明治10年に東京で行われた第1回内国勧業博覧会(政府主催)に七宝と運命的な出会いし、「これこそが俺の生きる道だ」といわんばかりに、七宝の世界に飛び込むことになった。それが濤川 惣助30歳の時であった。
それ以降、濤川 惣助は周りに「狂人」と陰口を叩かれるほどの執念を見せ、作品作りにや釉薬の研究に没頭、ついに無線七宝を完成させ帝室技芸員にまで登り詰めた。

こんな素晴らしい濤川 惣助の作品を見るのは並河 靖之の作品以上に苦労する。
常設では前出の清水三年坂美術館以外ではちょっと見当たらない。以前テレビみたときも取材に行っているのは個人のコレクターだったし、数は並河以上に少ないのだろうか。
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今回の展示品にも濤川 惣助はそれほど多くはなかった。その数は僅か四点しかない。いや、四点も、というべきか。その中で最も大型の作品が写真上の藤図花瓶である。見ても分かるように並河 靖之の作品とはまったくもって対照的である。植線を抜くことによって得られる柔らかさなラインは絵柄を主張し過ぎず、かといって決して弱いだけでは無く、ベースの作品と同化し昇華する独特の雰囲気を醸し出す。これは濤川 惣助のみが為し得た技術の結晶である。

並河 靖之 VS 濤川 惣助 ライバル心が磨いた超絶技巧の更なる高み
以前NHKBSで放送された「極上 美の饗宴」で並河 靖之と濤川 惣助が特集されたが、このふたりは西の並河・東の濤川といわれる最高峰同士のライバルだ。

濤川 惣助の最高傑作といえば赤坂迎賓館(赤坂離宮) 花鳥の間の「七宝花鳥図三十額」こそが相応しい。自分はこの作品を見たことがないのだが、場所が場所だけにおいそれとは見に行けない。
少し話しは横道にそれるが、この赤坂迎賓館(赤坂離宮)は国内で2棟しかない近代国宝建築のひとつである。
今年は締め切ったのだが、この赤坂迎賓館は近年一年に一度抽選により内部が公開されている。もちろんこの濤川 惣助の「七宝花鳥図三十額」が飾られる花鳥の間にも入ることが出来るはずだ。今年は自分も応募したので是非とも当たって欲しい。(発表は7月)当たれば当然ながら当ブログでエントリーすることになるだろう。

ひとりの芸術家が持てる全てを出し切って造った魂の傑作。この制作には大変なプレッシャーと労力があったと聞く。まさに、「命を削りながら」という言葉が相応しい濤川渾身の作品と言われる。その道の頂点に立つ人間が更なる高みを目指して努力を惜しまない。これを超絶技巧と言わずして何を超絶技巧というのか。そこにあるのは、小手先だけの技術だけではなく、まさに魂。それこそが超絶技巧の本当の意味なのだと思う。

この「七宝花鳥図三十額」創作には興味深い裏話があって、当時迎賓館の室内装飾を任された黒田清輝は、花鳥の間(当時はそう呼んでない)の装飾に4人、2チームをピックアップします。
それが、荒木 寛畝(下絵)・並河 靖之(七宝制作)と、渡辺 省亭(下絵)・濤川 惣助(七宝制作)であったそうです。
実際コンペ的に完成作品自体を競わせというわけではないようなのですが、事実上、並河 靖之 VS 濤川 惣助 夢の対決の構図は出来ていたそうです。最終的には室内の雰囲気にマッチした濤川 惣助が選ばれたということですが、この話しには思わず溜息が出ますね。どちらが選ばれても素晴らしい作品であることは間違いありませんが、できるなら並河 靖之の作品も同時に製作し、優劣つけることなく両作品が迎賓館に飾られたら凄かっただろうな、と思うのは自分だけではないはずです。
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芸術とは時に執念。培う技術も勿論だが、それは己と対峙する執念があってこそのもの。幾度となく失敗を重ね執念で完成させたものなのだ。
木を見て森を見ず。
時に時代は残酷で、これらの作品が多くの場合単に外貨稼ぎの工芸品として扱われたとしたら罪なことだろう。並河 靖之なども徒に外貨を稼ぐための作品作り、時間的に猶予を与えられずクオリティの低い100%に及ばない自らの作品を差し出すことに強く心を痛めたそうだ。
並河 靖之、濤川 惣助ともにこの世にはもういない。そして、超絶技巧と称された作品は本当に数が少なく、再現不可能とされたその技術は事実上消滅した。それが時代によって潰されたのか、潰れるべくして無くなったのか、それはよくわからない。わかっているのは、誰しもが望んだものではない、ということだ。
当時の事情はどうあれ、これだけの技術が後世に受け継がれなかったのが悔しくて仕方がない。
ただ、我々にとって幸運だったのは、彼らの作品が決して「ゼロ」ではないことだ。
平成の今日、作品を目の当たりにしたこれらを遠く知らない世代の感性は、「超絶技巧」という名をもって驚嘆と共に迎え入れた。いつか、第二の「なみかわ」が誕生する日が来るかもしれない。

完成した作品こそ、己の魂であり、全てである。
これが帝室技芸員である並河 靖之、濤川 惣助だけでなく、超絶技巧を持つ芸術家達の物言わぬ「逆襲」であり、我々は深い感銘と共に見事にそれを食らっているのだ。



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