再び上野。密庵咸傑の墨蹟を見て、ちょっとした疑問。

06 10, 2017
DSCF4596.jpg
さて、
一週間ばかりの展示であった密庵咸傑の墨蹟を見に再び上野に足を運んだ。
今回、龍光院からの出品では曜変天目の貸し出しこそ無かったものの、油滴天目と、この密庵咸傑の墨蹟が貸し出された。
ほぼ門外不出ともいわれる感傑の墨蹟が見られる滅多に無い機会なので、前回苦汁をなめた(笑)上野に舞い戻ったわけだった。この墨蹟を見るのは初めてだ。
さすがに知ってる方は知ってると思うので人だかりを覚悟していたが、回りには誰もいない。嬉しい誤算で拍子抜けだったが、おかげでジックリと見ることができた。
正直に白状すると、こういったものに詳しいわけではないので深く掘り下げられないのが残念なのだが、もともとこの墨蹟を掛けるために密庵床が作られ(たといわれる)、大きく解釈すれば、密庵席自体がこの軸を掛けるために制作されたと思うと、鑑賞するその意味は果てしなく深く感じる。つまり、密庵席もこの感傑の墨蹟ありきの附国宝のようなものじゃないかと。(笑)まぁ、それは冗談としても、感傑の墨蹟無く密庵席の存在はあり得ないし、そうした観点からもこの墨蹟を見ることによって、密庵席の半分は見たようなものではないかとも思う。

で、表題の件について。
今回の展示では、この密庵咸傑の墨蹟の横に一枚の写真が展示してあった。
それは、この感傑の墨蹟が密庵席の床に飾られた写真であった。
多分、殆どの人が疑問に思わなかったと思うが、以前密庵について詳しくエントリーし、平面図が記憶にたたき込まれている自分はこの写真を見て、ふと疑問に思ったことがあった。
それは、感傑の墨蹟が掛けられる(べき)位置である。
本床の写真はもちろん見たことがあったが、感傑の墨蹟が本床に掛けられている写真を見たことがちょっと記憶に無かったので、違和感を感じたのだ。
screenshot_3203のコピー
一目瞭然だが、密庵席には二つの床がある。
この二つの床がどのようにして生まれたのか定かではないが、感傑の墨蹟の位置については記録が有り、当初は本床に掛けられたいたようだ。
screenshot_3201.jpg
つまり、感じとしては、このような形である。
今回の展示写真については、こちらのように本床に掛けれていた写真が使用されていた。また、松屋会記の記録によると、やはり、最初はこちらに掛けられていたようだ。
screenshot_3204.jpg
ところが、いつの頃からか、感傑の墨蹟はこちらの床に掛けられているようだ。これが所謂「密庵床」といわれる床なのだが、この名称ものちに付けられたものらしく、当時はそうは呼ばれていなかった?ようだ。
screenshot_3202.jpg
今となっては、制作者がどのような企画性を持ってこの密庵席を作ったのかは分からない。
言われているように、本当に密庵咸傑の墨蹟を掛けるため(だけ)に作られた「床」であるのなら、制作者は全体的なバランスなどを考慮して、この密庵席を完成させたはずであり、然るべき場所に掛けるのが理想であると思う。それさえも分からないものであるなら話は別だが。
とはいえ、龍光院公開の話しは全くといっていいほどなく、一般拝観が行われる可能性は限りなくゼロに近い。
が、ゼロでは無い。
今回取り上げたこの問題についても、世間的には「公開されるものじゃないし、どっちでもいいじゃん」といわれるのがオチだが、基本的にはそうじゃない。手が届かないものこそ然るべきものであって欲しいと思うのだ。

今回、本物を見ることができたことは大きい。
先日京都に行き、寺院などを拝観する機会があったが、作品保護の観点から、襖絵などは殆どがレプリカであった。それは致し方の無いことなのだが、いかに精巧に作られようとも偽物は偽物なのだ。どうしても拒否反応があり、まったく関心を持てなかった。逆に画が劣化して真っ黒になり、殆ど確認できないようなものでもやはり本物は本物である。
おそらく数十年後には、こうした作品の殆どのものが然るべき場所から外され「作品保護のため本物は○○美術館に所蔵してあります。」となってしまうのだろうな。

密庵席でお点前を頂きながら密庵咸傑の墨蹟を拝見する。願わくば、その際にこの墨蹟を両方の床に代わる代わる掛けていただきたい。そして、制作者がどのような意図を持ちこの場所を作ったのか、それを考える。

これは、夢だ。



2 Comments
By よーすけ06 21, 2017 - URL [ edit ]

密庵咸傑の墨蹟、ご覧になれてよかったですねぇ~
僕も何気なく日曜美術館をみて知ったので
逃すまいと意気込んで参りましたが
さほど墨蹟には興味がないのか
拝観者も穴が開くほどながめていた方はいなかったので
ゆっくりよく鑑賞できました
しかしよくこの密庵の法語が伝わったものだと感心するばかりです
それも現存するただ一点のみとか
利休居士が偽物つかまされ破り捨てた逸話もありますが
当時でさえも400年も前の南宋時代の高僧の書
戦火、文化革命、廃仏毀釈に王朝の衰退、
様々な禍の前とはいえ
数は少なかったはず
まして中国の僧で渡来したわけでもないのですから
なおさら大徳寺までたどり着いたのが
不思議です
その真贋を極めるなど更に難しいのではないかと素人でも思うわけです
北方の金にさんざん攻め込まれ
嫌気がさした亡命僧により鎌倉時代にもたらされたのでしょうか…
密庵席の意義はこの墨蹟に尽きると思います
特に密庵席が禅林にあることも注目すべきで、やはり茶室とはいえ精神修行の道場的な場なのでしょう
非公開なのもそんな理由かと考えます
もともと茶の湯は禅の中から生まれたものですが
武家の教養の一部から室町・戦国時代の唐物賭事
侘び茶から現代の茶道・金持ちのオママゴト的なモノまで
精神性の高いものからお遊び的なものを行ったり来たりしてるように
時代時代で求められる役割に変化があります
床が2つ有るのも茶席の名の由来に配慮しつつも、季節を感じる室礼が必要な茶事も執り行えるように
自由度を上げたってことかもしれません
茶人たるもの禅語や墨蹟には一目おいてほしいですが
難解な公案などは煙たがり
和歌などの料紙を床に掛ける茶会も多いですからね
ですから茶会に招かれても
心に訴える深い感動もなかなか無いわけです
自己満足か道具の鑑賞会かって感じです
まぁ湯を沸かし茶を点てるのに蘊蓄は必要ないのですが
心尽くしのもてなしは亭主の姿勢にあるように感じる今日この頃です
来年は密庵咸傑生誕900年です
密庵席の特別拝観あるといいですね

By Kazz06 22, 2017 - URL [ edit ]

よーすけさん こんばんは。

密庵咸傑の墨蹟、ギリギリになりましたが鑑賞することができました。
エントリーの際にも書きましたが、人が少なく落ち着いてみることができました。
これについては予想が外れて良かったです。(笑)
初見だったため、墨蹟云々よりも本物を見ることが出来た事実の方が嬉しくて、舞い上がっていた気がします。
私もよーすけさんのように、この墨蹟がなぜ大徳寺にあるのかという点と、その真贋についての大きな疑問は持っておりました。
ただ、私などのような人間には知る術がありません。例えば龍光院からの非公開情報の開示や、明後日の方角から具体的な何かがでてくれば万歳なのですが、その点についての望みは極めて薄いと言わざるを得ません。ですので、疑問を持ち続けたままにすることとします。
確かにこの墨蹟は密庵席そのものであると考えます。
故に、こうしたガラスケースの中では無く、その場所で見たかったというのが正直なところです。

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